MIKOTO NO TUTAE 舞踏編

「気が澱んでるね。」

 夕暮れ、周りに民家も無く、打ち捨てられた工場には人間に省みられないままその残骸を晒すだけ。魅琴は面倒そうにあたりを見渡している。女子高生の嗜みとして制服姿の彼女は一人、ぼんやりと時間を潰していた。JRで千円使って、私鉄で500円ぐらい乗り継いだ後、さらにバスで500円使って、折角の休日なのにやってきたのはシけた空き地。交通費はまだ良いとしても予想以上の移動時間に、魅琴は少々不機嫌だった。

 魅琴は滅多に、他人のために自分の能力を使う事はない。幾ら代価が伴ってもである。彼女は安売りはしないのだ。仕事とはいえ、力を他所で使うことは自分の存在を大きくアピールすることになる。そして、それは多くの場合敵を増やす事でしかない。倒すべきターゲット、ターゲットの黒幕。そして他の術者達。失敗すれば依頼人からも恨みを買う。仕事が増えればプライベートも忙殺される。魅琴には仕事以外にもやることが多かった。

 しかし、無さ過ぎるのも寂しい。ツテはどうしても必要になってくる。それに偶には他所で実戦を積んでおかないと戦いの勘がボケてしまう。どうしても断れなくなった相手からあれこれ選り好みをした挙句、ようやく依頼にOKを出したのだ。だから彼女は、こんな田舎くんだりまでやって来た。もちろん、阿寝子市が都会というわけでもないのだが。

 魅琴は崩れたコンクリの塀から工場の方を覗いてみたり、生い茂る雑草を蹴飛ばしてみたり、辺りを観察していた。相手が出てくるのは黄昏時、もう少し暗くならないと出てこないだろう。ただ、早くカタを付けないと最後のバスには間に合わない。こんな場所ならタクシーも来ないだろう。

「おいでなすったかな。」

 ここに来る途中に人払いの結界を張っておいた。普通の人間ならばいつもの通勤ルートであろうとも無意識に避けて通るだろう。同時に魔を寄せる呪符も発動させている。要するにネズミ捕りのチーズというわけだ。美味しそうな匂いを嗅ぎつけて、獲物が近づくのを感じる。罠は即ち、魅琴。

 ざっ、ざっ、ざっ・・・

 聞くだけで不吉な足音が近づいてくる。いや、空気が重くなっている。それは気配の違い、異界の存在がこの世に干渉しているのだ。魅琴はじっと、足音のするほうを向いている。落ちかかった日を背にした影は、ゆっくりと人の形をとっていく。
魅琴はポケットから写真を取り出して確認した。

「ターゲット、『箒木まぼろ』」

 写真に写っているのは快活そうな少女、と言っても魅琴よりも年上である。ブロンドのショートカットと青い瞳が眩しい。白い肌とあいまってハーフのように見受けれられるが眉の色は黒い。恐らく染めているのだろう。

 色あせたジーンズ、皺寄れたデニムのシャツ、季節はずれの衣装である。ゆっくりと歩み寄るそれは確かに同一人物であった形跡は認められるが、既に別の存在と化していた。邪淫の臭いが鼻につく。肉感的な胸とグラマーな腰つき、だがその質感が違う。生身ではありえない、不自然なほど理想的な身体つきだ。妖しく冷たい、好色そうな瞳をこちらに向けている。

 しかし魅琴は全く気押されない。その程度の色気、魅琴だって出せる。出すと頭が悪く見られるからやらないだけだ。いつもの澄ました表情が、彼女の一番のお気に入りなのである。

「依頼内容。『まぼろ、及び彼女の念槍“イルジョニカ”のサルベージ』」

 無表情のまま、ポケットに写真を戻す。それとほぼ同時にまぼろの両手が赤く燃えた。いや、視覚化できるオーラをまとい始めたのだ。戦いの前哨、まぼろから殺気が発せられる。そして魅琴には見えた、彼女の両手の間にあるおどろおどろしい存在を。それが念槍“イルジョニカ”。術者だったまぼろの、業界では音に聞こえた武器だ。

 タン、軽々とまぼろは空を飛んだ。一気に魅琴と間合いを詰める。

 ヒュン、横に払われた槍は魅琴の首を過たず狙っていた。だが、槍は空を切る。魅琴の身体は地面に伏せていた。くるりと前転して体制を整えてバックステップ。瞬間、魅琴が居たところがなぎ払われた。

「隙は無いけど自己流だね。」

 一言呟くと、魅琴は繰り出されるまぼろの槍をひょいひょいと器用に避ける。良い太刀筋だが、それだけでは百戦錬磨の魅琴には掠りすらしない。まぼろの槍が突き出される。ひょいと避ける魅琴。しかし攻撃は止んではない。魅琴の背では槍に幾つも瘤が出来たと思うと、幾つもの刃を持つ触手となって襲いかかる。

「そうでなくっちゃね。」

 死角でありながら、魅琴は攻撃を察知する。彼女の背中には既に有刺鉄線で編んだような棘つきの網が存在していた。槍の触手は絡み取られて魅琴の肌まで至らない。まぼろは悔しげに吠える。

 魅琴が操るのは“濡場魂”と呼ばれる夜見国の植物。穢れハタレに喰らいつき、そのエネルギーを清浄なモノへと転化させる。イルジョニカから、そしてまぼろから発せられるのは果たして瘴気である。何者かが彼女らを乗っ取り、魔として再生させたのだ。

 魅琴は反撃に移る。仕込んでおいた濡場魂を発芽させる。彼女のいつもの手だ。しかし、それが足首を掴む前にまぼろは空に飛んだ。もちろんそれが狙いだ。過たず動きの取れないはずのまぼろに二弾目を浴びせ掛ける。だが、イルジョニカは大地に突き刺さって竹馬の様にまぼろを移動させて避ける。

 魔と術者の間合いは“夢幻”。中空から腕が襲ってくるなど当たり前、人間の身体構造を無視した攻撃は幾らでも来るのだ。武器を持っているならそれが変形するぐらいお約束だと思わねば成らない。

 見る間にイルジョニカは巨大な兵士の様に魅琴の前に立ちふさがる。蟷螂に似ているだろうか。不恰好に分かれた枝が足部と腕部に分かれている。神すら絡め取る濡場魂ではあるが、イルジョニカは触れられた部分を自ら崩壊させることでその束縛から逃れている。魅琴的には非常にやりづらい。

「一筋縄じゃ行かないみたいね。」

 魅琴は巨大な怪物の振り下ろす、一撃一撃を避けていく。まるで鉈のような鎌のような、鍬のように形を変えつつ、魅琴に迫り来る。だが、魅琴は余裕だ。イルジョニカから発せられる気が次第に荒削りなモノへと変わって行く。向こうは焦っているのだ。その分、魅琴の力は研ぎ澄まされる。

「二本ならどうだろう?」

 濡場魂が叢より競り上がる。まるで双頭の大蛇の様に地面から鎌首をもたげて怪物の首へと狙いをつける。その威圧感にイルジョニカの破壊の相が格段に濃くなった。悪意、そして敵意、ぐつぐつと煮え滾る感情は即濡場魂すら引き裂きかねない力へと顕在化する。濡場魂ごと魅琴を叩き潰すつもりだろう。

 渾身の一撃! だが、魅琴の顔には涼やかさが消えない。彼女は避けようともしない。ビシッと真っ直ぐ、イルジョニカの頭部に佇むまぼろを指差す。

「既に種は蒔かれて居る!」

 ぐしゃ、イルジョニカの重い一撃が魅琴を捕えた。ごおと土ぼこりが立つ。だが、その瞬間、まぼろの背にすたりと降り立ったのは、魅琴その人。打ち潰されたのは変わり身、彼女自身は空に逃げていた。気配の終えなかったまぼろの負け、もちろん魅琴の持ち技が炸裂している。

「うっっっっ、ぐっっっっ!?」

 イルジョニカの影が薄れてくる。どうとばかりに倒れこんだ。まぼろは地面に転げ落ちると、バタバタと苦しげにもがき始めた。
濡場魂が彼女の体内で発芽したのだ。
「ふあっ!」

 まぼろは高く吠えた。魅琴は彼女を後ろから抱きかかえた。両の手で、椀の様な双乳に優しく触れてやる。妖気が指に絡みつく。魔に染まった彼女を元の人間に戻すのは少々難があるが、それこそ魅琴の腕の見せ所である。

 魅琴は彼女のシャツを引き剥がした。ずっと、ジーパンのファスナーを開く。淫臭がむっと鼻についた。かなり多くの人間を、槍と己の肉体の餌食にしていたのだろう。ならば逆を辿らねばならない。彼女の体に染み付いた業を洗い流す必要がある。

「溺れなさい。貴女の殺めた命の海に。」

 魅琴はまぼろの乳首の回りに舌を這わせる。相手の反応を確かめながらゆっくりと柔らかなプリンにちょこんと乗った、可愛らしいチェリーへと近づいていく。魅琴は好物は後で食べる主義だ。ギリギリまで近づくと今度はもう片方の乳の裏側から這い直す。じっくりと時間をかけて、両の胸の感触を堪能する。

 指先はむっちりとした太ももを遊ぶ、艶やかな内腿がしっとりと濡れてくる。まぼろの体内で濡場魂は小さく砕けて血流に乗り、彼女の隅々へと駆け巡っている。普段の蔓のような植物体ではなく、細菌化していると考えて良い。邪気を完全に封じ、良きものへと浄化しているのだ。その副産物としてまぼろの体中にえも言われぬ快が走る。

 灼けるような熱気が彼女の体から発せられる。強力な“気”。発熱は彼女の意識を朦朧にはさせず、却って肌や神経を過敏にする。魅琴の唇が漸くその頂きにたどり着くと、起立したルビーを軽く噛んだ。白い液が滲む。

「やぁーーだぁ! やぁぁああーーーだぁ!!」

 膨張した乳房。彼女の乳腺には濡場魂が分解できなかった残りカスが詰まっているのだ。ちゅう、ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ・・・。魅琴は赤ん坊の様に、まぼろの張った乳をしゃぶる。

「やぁ・・・やぁ・・・やだあ・・・」

 まぼろの声から嫌悪の感情が消えていく。心地よさ、そして安心感。魅琴は片手でもう一方の乳をもて遊ぶ。その行為はまぼろの母性を直接くすぐった。さらに、女の喜びを掘り起こしていく。魅琴の良く動く指先は、まぼろのズボンをずり下げて彼女の叢に潜り込み、最も深い部分の入り口をより挿り易くするために揉み解していた。

「はぁ・・・はぁ・・・ああんっ・・・」

 まぼろの目から敵意が薄れ、懇願するような甘さが漂いはじめる。だが、まだだ。彼女を蝕んでいる邪気は薄れつつはあるが、しっかりと彼女に根付いている。完全消毒する必要がある。彼女の心も全て真っ白に。魅琴はまぼろの髪を撫でてやる。

「穢れた細胞の一つ一つから、不浄の因子を排除するの。ちょっと痛いかも知れないけど、ごめんね。」

 睦言を言うように、それでも全く悪びれず、むしろ楽しげに魅琴はまぼろの耳に語りかけ、そしてふうと息を吹き込む。ぶるぶると震える彼女の耳たぶを、はむと甘噛みしてやる。

 魅琴は自分のスカートの中へ手を入れると、その真っ白なパンティをするりと脱ぎ捨てた。魅琴のまだ幼さの残る恥部が顕わになる。つうっと、透明な液体が糸の様に、まぼろの部分へと降りていった。

「直接吸い上げてあげないと、ダメみたいね。」

 魅琴の目が、まぼろの内面を探るように、その外面を滑っていく。視線が当たるたびに、まぼろは身をくねらせた。魅琴の眼力が彼女の性感を掘り起こしていくかのように。欲望は決して黒いものではなく、切なさと恥じらいを彼女に思い出させる。

「あっ、あっ、あっ、あっ、、、いやぁあーーーーーーー!」

「ダメ。大人しくなさい、オネーさま。」

 魅琴の念により濡場魂が活発働き始める。余った毒気を別のものへと転化する。もちろん、効果が強いほど副作用も強い。痛いと魅琴が表現したのは正しかった。まぼろの肌は痛いほど、刺激を求め始めた。むず痒さで肌が赤く膨れ上がる。触られてないことに不安になって行く。ビクビクと電気のような感覚が走る。

 魅琴は彼女の上に身体を重ねた。くちゅっ、くちゅっ。下の唇が長いキスを始める。叢同士が絡み合い、ちょっと飛び出した舌先同士が触れ合う。お互いに、下腹部が蕩けるような感覚が広がっていく。魅琴の体も火照ってきた。しかし、彼女は行為に溺れない。深い悦びを知る彼女は決して、貪るようなことはしない。そう、仕事にかこつけて効率よく相手をイかせる。それは魅琴にとっては医師が患者を救うが如き、少々職人気質の、精神的な満足なのだ。

「やっ・・・だめ・・・あたたかいの・・・だめっ!」

「冷たい闇の世界より、人の温もりの方が気持ちが良いよ?」

 むずがるまぼろに、魅琴は優しく諭す。処女を抱くように優しく、それでいて激しく。女同士の重なり合いは魅琴の最も得意とするもの。まぼろは喘ぎ、震え、歯を食いしばる。腕が魅琴の背中に、強く強くしがみ付いてくる。その加減が心地よい。

 戻らせないで、このままで居させて。まぼろの脳裏では今まで殺めた人間達への懺悔と後悔がせめぎあっていた。自分が魔として、日の当たらない所に居ることでそれに報いようとする卑怯であるがゆえに甘い誘惑が、まぼろの胸に去来した。
 魅琴はきっぱりと、まぼろの魔なる心を拭い去って行く。彼女の指が触れるたびに、邪な考えは消えてゆく。縛めが解ける。罪が許される。何より大きな者から受け入れられていく。普段ならば重ねることで曖昧になって行く快感は、まぼろの知覚と感性を、ハッキリとしたものへと呼び覚まそうとしていた。

「溶ける・・・とけちゃうぅ・・・・」

「溶けていいのよ。私が飲み干してあげるから。」

 まぼろの殻が熔けて行く。壊れそうな自分。自分が失われる不安。それらは魅琴の存在で否定される。彼女はまぼろを勇気付ける。何よりも大きな安堵感が彼女には与えられている。歓びが身体の触れ合いによって激しさを増す。それは心の喜び。
ピクッ、まぼろの身が反り返った。

「あっ、あっ、ああああああああーーーーーー。」

 まぼろの意識が弾け飛ぶ。彼女に巣食っていた悪業もしかり。深い闇の中へ封じられた彼女自身が、最も天高き世界に解放される。竜巻に飲み込まれ、放りだされる感じだ。まぼろは全てが流れ出るとがっくりとうなだれた。一気に高まった奔流に巻き込まれて、気を失ってしまったらしい。だが、彼女は幸せそうな表情だ。まるで幼子の様に安心しきっている。

「ふう・・・えがった。・・・で、いつまで見てる気?」

 魅琴はうんと伸びをしてまぼろから身体を離した。そして、いつの間にか現れたギャラリーの方を向く。

「これはどうも、お手並みを拝見させて頂きました。影は瘴気を放っている。私の名は淫魔の馨迩(けいじ)。まぼろさんの、コチラの世界での保護者です。」

 くぐもった声が響いた。燕尾服にシルクハット、ふざけた姿だが、良く観察すると彼の出で立ちが“外皮”であることが用意に見て取れる。その表情は帽子の陰に隠れて見えない。

「ご丁寧にどうも。」

 魅琴は軽く会釈した。淫魔とは書いて字のごとく、色欲に関する魔性である。この町は一時期、特に魔が跋扈した場所だと魅琴は話に聞いていた。

「ふふふ、八重垣の血、さぞや美味でしょうな。」

「血で良いの? 味見したいのはアソコのエキスなんじゃない?」

 魅琴はスカートの上をすっとなぞり、ワザとしなを作ってみせる。パンティを脱ぎ捨てて布一枚しか隔てない素直な膨らみが、己の指で少し凹む。

「残念ですが、私は不能なのですよ。まぼろさんに不覚を取りましてね。」

「インポの淫魔なんて初めて見たわ。」

「やはり、まぼろさんとは違いますね。素晴らしい。」

「私を後釜に据える気?」 

「ご名答。先から見せていただきましたよ! アナタの弱点、それは数には対処できないこと!」

 ゾワ、草むらが揺れた。それは無数の小鬼達。体長50cmも無さそうな多数の不恰好な奇形の群れ。いや、形自体が現存する生物とは似ているようにいて全く程遠い出来そこない達が魅琴の回りを取り巻いていた。おおよそ百とも二百ともつかないそれらに囲まれて、魅琴は突っ立ったまま、まるで動こうとはしなかった。濡場魂はその発生に強大な精神力を使う。先に仕込んでいるならともかく、急な団体さんには対処できない。

 子鬼達はブツブツと聞こえざる声で獲物をはやし立てていた。その眼は爛々と輝き、口からは早くも唾液が滲む。暫く様子を見ていたが、唐突に、うわっと襲い掛かった。魅琴は薄汚れた彼らの色に染まる。

「口ほどにも有りませんね。」

 馨迩は気取って、背を向けた。邪気に染まればまた、魅琴もまたまぼろと同じく自らの支配下における。馨迩は強力な駒を得たことを確信した。だが、彼の頭に何かが降って来た。

 布切れ?馨迩はその正体を見て愕然とする。純白のそれは先ほど魅琴が脱いだパンティだった。

「ん? 貴方への冥土のお土産だけど、要らなかった?」

 振り返った馨迩が見たものは、こなごなに砕けた子鬼の残骸と、まるでチアガールのバトンの様に軽々とイルジョニカを振り回す魅琴。

「何故だ・・・槍術など・・・」

「槍はやったこと無いんだけどね。棒は私『西遊記』好きだから。マチャアキの出てる奴ね。それに・・・」

 彼らには畏れや恐怖、そして学習には無縁なのだろう。小鬼の一群が魅琴に飛び掛るが、レーザー砲か何かの様にイルジョニカから眩い光が発せれ、妖魔達を蒸発させる。

「彼女は使い方を間違えていたのよ。取り込んだ妖魔をそのままにすればいつしか魔に憑かれるのは当然。でも、邪気を練り直して発すればこの通り。」

 魅琴に疲れは無かった。魔の力を奪ったイルジョニカは何もしなくても攻撃力を増している。

「いま、オネーサマと私は心の奥底で繋がっているのよん。」

 だから、イルジョニカを操っている、と魅琴は言っているわけだが、もっと平たく言えば、魅琴はまぼろを今操っていることになる。魅琴をただの“正義の味方”だと思い込んでいた馨迩はあまりに勝手が違うことに焦りを感じた。

「なっ・・・納得行かんぞ!」

「それともう一つ。 ・・・言わせる気? 貴方たちとは格が違う。」

 キッときつい瞳で魅琴は言い放つ。その言葉は本物だ。八重垣のものは神さえ凌ぐ。その意味を馨迩は知った。圧倒的なプレッシャーが彼を襲う。たかが淫魔では太刀打ちすることすら叶うまい。

 馨迩は少し、何か考えていたようだが、意を決したように大きく翼を広げると、タンと地面から飛び上がった。見る間に大空へ、いやぽっかりと口を開けた異界の入り口へと上昇していく。魅琴の力が強いので、彼女から距離を取らなければ自分の世界へ帰れないのだ。要するに逃げようとしている。

「失礼させていただきますよ。 ふふ、貴女の力ではここまで届かないでしょう!」

「どうして人間がサルより賢いか知らないの?」

 宙に浮かんだ馨迩を余所に、魅琴はおでこに手をやって、大げさに溜息をついてみる。彼女は物分りの悪い輩に対しては最大級の哀れみを感じるのだ。

「道具を使うからよ。」

 魅琴の腕には漆黒の蔓が絡みついた。それは幾重にも重なり合い、まるでイルジョニカの様に形を成す。しかしそれは槍ではない。硬く、それでいてしなやかに、濡場魂は武器へと変る。馨迩の赤い血の通ってないはずの顔すら蒼くなった。魅琴は濡場魂を弓へと変えたのだ。当然の様に矢の変わりにイルジョニカをつがえ、弦を引き絞る。

「弓もやったこと無いんだけど。ま、いけそうだな。」

 ひょうと射た矢は馨迩の脇を掠めた。ギリギリの所で、外してしまった。馨迩はほっとした表情で、それでいて嘲りの笑みを魅琴に投げかけようとした。しかし、その瞬間彼は魅琴ではない方向から怒りの気を感じ取った。馨迩の慌てふためき様に、魅琴は鼻で笑う。

「ま・・・まぼ・・・」

 まぼろの視線が馨迩を射竦めていた。すくりと立ち上がった彼女の目にはもはや狂気の光は無い。それは術者の眼差し、馨迩は自分が妖魔であること、そして相手が術者であることを、一瞬では有るが忘れてしまった。

 一瞬で十分だった。イルジョニカはその姿を変え、馨迩の頭を、そして胴をたちどころに粉砕した。吸収などしない、そのまま霊子の粒へと変換してやる。これで再生は、無い。まぼろは視線を魅琴に移した。少々戸惑いがちの彼女に向い、魅琴は少し会釈する。

「あなたが・・・助けてくれたの?」

 魅琴はいつもの、含み笑顔で頷く。先の自分とのことも記憶から削げ落ちているらしい。当然であるが、その方が良い。

「うん、ま、あまり深く考えないで。」

 魅琴はまぼろをそのままにクルリと背を向けると、ちょうどそのタイミングで黒服の男が一人、魅琴の脇を通り過ぎた。まぼろの方へ駆け寄る気配があるが、魅琴は空き地を後にする。彼女が来た時にはなかったリムジンに別の黒服が畏まっていた。

「見事なお手並みでした。」

「乗せてってくれれば良かったのに」

 黒服は依頼主である。近々、政府主体で妖魔殲滅の計画が開始されるらしい。その頭数が必要だったのだ。それで、まぼろを“救い出した”。魅琴にとってはただそれだけのことである。

「やはり、八重垣様にも、手を貸していただきたいものですが。」

「前もいったけど、絶対ヤ。」

 魅琴は黙って手を出した。自分は八重垣のもの、権力とは古から真っ向相反してきた存在である。話をそらすため、謝礼の催促をする。だが、黒服は少しギョッした反応を示した。

「・・・あの、コン様が・・・」

「タクシー代、やけに高くついちゃったな。」

 魅琴はそう言うと、勝手に車の後部のドアを開いて座席にどっかりと腰を下した。無いものは仕方ない。相手がコンならなおさらである。トラブルに一々騒ぎ立てるほど彼女は子供ではない。闇の世界を生き抜いてきた彼女は必要以上にクールなのだ。

「阿寝子市まで。」

 黒服は黙って運転席に座ってエンジンをかけた。魅琴はだまって、暗くなった外を眺めていた。


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