久々に、本屋でまるまる一冊立ち読みしてしまった自分に気が付いて恥ずかしいやら。 ソードワールドのリプレイの最新の奴…まだやってるのか、と手にとったのが運のつきですね。土曜日は市役所で降りて、名古屋上の裏をぐるっと廻って伏見経由で栄まで行って、 そこから鶴舞まで歩いて帰りました。いつもディスクワークなのでたまには歩き回るのも一興です。 って私の休日は歩いてばかりのような気がします。
ポンペイ展行ってきました。名古屋の愛知県美術館の10Fです。 さすがはイタリア年だけあって気合の入った展示をしておりました。 空間も広く取っているから“見て廻った気分”にさせてくれるのね。 それと、時代によって“発掘”の意義が変っていく過程もそこはかとなく感じさせてよござんした。 最初は盗掘から始まって、博物学的研究に移り、次第に歴史学や地質学へと細分化され、そこからまた統合に向かっている感じです。
前々からそうじゃないかな〜と思っていたのですが、ポンペイが埋まったときの噴火は 大プリニウスが巻き込まれた噴火だったんですよ。今まで明言した文書を見つけられなかったのですが、 胸の支えが取れた感じです。
常設展の方ですが、ポール・デルヴォーの『こだま』や グスタフ・クリムトの『人生は戦いなり』が置いてあって、 市立美術館より趣味、質、量共に良いと感じました。 日本画家の裸体絵なんて市立は置かないんだよね。謎。
8Fで日展の東海展を行っていたので梯子しました。エレベーター移動だけど、関係無いか。 なんとなく感じたんだけど、なんか日本の芸術品ってトーンが暗いよね。 そこそこ良いものは良いと感じられましたが、先にポンペイの南国的な出土品や常設展をみちゃったので、 どうもいけませんでした。
文学とかもそうですが、人間の本質を表現する上で陰湿さや緻密さが必要な事は判りきってますが、 そればかりというのもアレです。『死霊』が幾ら凄くても、そこに集約しちゃいけません。 どうも“陰中の陽”に偏ってる感じがあります。それならまだ良くて、“陰の陰”だったりとかね。 私は、太宰治は作者がチョクチョク合いの手打つパタンが好きなぐらいなんで、 “陽中の陰”もありだと思うですが。『赤毛のアン』みたいな作は日本ではでないのでしょうかねぇ。 …あー、出たとしても、“芸術”として認めてくれないんだろうねぇ〜。
でも逆に、クトゥルフクトゥルフした作品も、文芸として通してくれるんだろうかねぇ。 SFは一時期、お子様向けだと考えられていたし、って今もそうか。
立像なんて7割方は女体裸像で、作ってる人が少ないから展示されている感じがします。 こぎれいにまとまっちゃってるし。デェフォルメ表現も数えるほどしかないです。 唯一、チビシャツとパンティ一枚というコケティッシュな作がありましたけどね。 これまた逆に、男性裸像は少なかったり。
ソルトレイクオリンピックが始まりましたが、なんか素晴らしく政治色強いんですが、良いんですか? プロが参加する事よりもまずいような。まぁ、アメリカだし、ブッシュだし、押しがほら、尋常じゃないから。 それはまだいいんですが、NHKですけど、どうして銅メダルのプレーばかり流しますか? 同じぐらい金のプレーも見たいのですけど。頼むから、一時間に同じ映像を何度もやるのは辞めてください。
南の人なので、冬季オリンピックには興味が無いのですよ。存在確認したの、大学上がってからだし。