143. アメリカでは低学力校からの転校生は意外と
   少ない


杉田荘治


はじめに
   アメリカでは新教育改革法によって、「低学力が2年以上続いた公立学校」の生徒は、そうで
   ない学校へ転校する権利が与えられる。] ところがワシントン市の約2分の一の学校がこれに
   該当し、生徒数でいえば33,000名の生徒がその権利をもっている。 
   しかし実際に転校する生徒は意外に少ない。 このことについてWashington Monthlyや
   Washigton Post紙が報じているので、先ずこれらを要約し、その後これに関連する事項につ 
   いて述べることにする。

T Washington Monthly (2004年8月号)とWashington Post(8/10/2004)号から

   ワシントン市の約半分の公立学校は連邦新教育改革法によるテストの成績が悪かったために
   生徒に転校する権利が与えられることになった。 しかし市の担当官は「学力の高い学校には
   生徒を受け入れる余地が余りないので、実際には厳しく制限されることになろう」といっている。

   すなわち全市で149の公立学校のうち68校が2年続けて学力標準テストであるスタンフォード9
   (Stanford Achievement Test:SAT 9)のリーディングと数学で「適当な年次向上」できない悪い
   成績を取り「改善を要する学校」とされた。 そこでそこの生徒たちに転校する選択権が与えられ
   たのである。

   しかし担当官は「特に中等学校の範囲での転校は難しい」といっているが、それは15校ある学校
   のうち3校を除いて「改善を要する学校」に指定されたからである。 しかもその3校とは総てマグ
   ネット:magnet schoolsであり通常の学校とは異なっているので、実際には受け入れ困難である。
   因みにその3校とはBanneker高校、Duke Ellington芸術学校、School Without Wallsである。
   【註】マグネット・スクールについては後述する。

  転校以外の方法
  ○ これらの生徒は転校するかわりに家庭教師のサービスを無料で受けることができる。 これは
    特に低所得層の生徒に向いていよう。
  ○ ワシントン市の標準テストが全米的にみても、また他の大都市のそれと較べても極端に悪いの
    であるから、転校問題以前の問題として市教委が翌年には良い成績が取れるような改善プラン
    を作る必要がある。
  ○ またインターネットを活用する方法、また同じ学校のなかに指導や管理の方法の違った「小さい
    学校」を創って適当な教育をする必要もあろう。
  ○ 連邦の資金を受ける学習クーポン券の活用、また公立チャータースクールへの変換もあろう。
  
   なお4年続けて「改善を要する学校」に指定されると当然に、その学校はスタッフを入れ替えたり、
   学校経営に私的なマネジメントを採用したり、更には閉校になったり、またチャータースクールと
   して再出発しなければならなくなる。
   
  他の市でも同じような問題
   この転校問題の困難なことは例えばNew York市やChicago市でも同じように起こっている。
   またMaryland州の地方のPrince George郡でも197校ある学校のうち、35校が「改善を要する
   学校」に指定され、さらに10校が追加される筈であるが、転校先が難しいことで問題になってい
   る。

  なぜそんなに「改善を要する学校」が多くなるのか
   新教育改革法は、いろいろな人口統計上のグループ、例えばアフリカ系アメリカ人や身体不自由
   児、英語を話すことに不自由な生徒などのグループのそれぞれについても「適当な年次向上」を
   求めている。 そのために学校全体としては良好であっても、そのなかのあるグループがこの基準
   に達しないと「改善を要する学校」に指定されることになる。
   例えば、北西ワシントン市部にあるHardy中等学校やFrancis中学校は繁栄した地区にある学校
   であるが、この例に該当する。

   そこで最近、市長から指名された教育委員のRobin B. Martinさんも「適当な年次向上」は必ずし
   も最低学力の学校とはいえない。従ってそこから生徒を転校させる政策は必ずしも生徒たちを助け
   ることにはならない、といっている。 また5区と6区の担当官も連邦政府からの財政的援助が不
   充分であると批判し、最低学力校に連邦の資金を優先的に廻すべきだといっている。

   これに対して連邦教育省のスポークスマンは、TitleT資金は2001年度には2,830万ドルであった
   が2004年度には5,560万ドルに増えているのであるから、この批判は当たらないと反論している。
   なおTitleT資金については先に45編で述べたが再掲しておこう。

                      【連邦Title T補助金とは】
 1 全般的事項
   小学校、中学校、高校のための連邦の補助金で低所得者が多い教育区に与えられ、学力的に遅
   れている生徒に余分の教育サービスを受けられるようにする。 そのため、
   ・ 他の生徒と同じ基準によって測り、これを引き上げる。
   ・ 地方教委、学校、親にその補助金の使い方に自由裁量を許可する。
   ・ 親に子供が成功するように責任をもたせる。

 2 使用方法
   ・学校の授業後、週末、夏休み中の計画のために。   ・教育実習生や教材利用のために。
   ・親が参加するための費用について   ・リーディング、言語、数学について家庭教師や特別な
    援助を受けるための費用について   ・以上のための政策立案費用について

 3 その他
   ・ 教育区が、どの生徒が必要であるかを決定する。
   ・ 但し半分以上の生徒が低所得者である学校にあっては、その学校が決定する。
 【資料】 Education Week No Child Left Behind, Updated October 9, 2002

              実際の転校受け付け風景
   ワシントン市では低学力校から他校への転校手続きが2004年8月9日から始められたが、第一
   日目に手続きした親は非常に少なかった。前述したように公立学校の半分以上の学校で、生徒
   数としては33,000名の生徒に学力の高い学校へ転校する権利が与えられているが、実際にはラッ
   シュ現象は起きていない。

   ワシントン市の北西部にあるユニオン駅近くの二階建ビルディングには、二人の学校担当官が
   その107番ルームのテーブルの前に座って、膝の上で操作できるコンピューターと山と積まれた
   申し込み手続き用紙を用意して待ち構えている。 しかし第一日目には僅か15名しか申しこみが
   なかった。 最終期日は8月21日
   親たちは2週間前にメールで「転校できる」と知らされていた。 それは前に述べたように自分たち
   の学校が今年4月に実施された3年生から11年生までのスタンフォード9テストのリーディングと数
   学でも再び失敗して「改善を要する学校」に指定されていたからである。

  それは何故か
   1. 低学力校といえども、すでに子供たちはそこに慣れ親しんでいる。
   2. 転校手続きの詳細を親たちはよく知らない。 シングル母親のなかには16時間勤務の者も
    いたりして、自分たち自身の生活も管理できない者も多い。
   3. 複雑な教育政策そのものをよく理解できない。
   4. 学習クーポン券を利用して私学への転校を考えている。
   5. 人種の問題もからんでいよう。 というのは別の論考"An Education Point of View" by Dr.
     Mary Elizabeth Beachによれば、1974年に下されたSpringfield判決によって人種統合が
     進められ、学校も多様な人種の構成体であるべきであるとされた。 しかしこの原則に合致
     しない転校が起こるからである。 アフリカ系アメリカ人としては初めて連邦教育相になった
     Rod Paige長官は「人種統合の原則の範囲内であるならば、転校プランの変更を裁判所に
     求めること」といっているが、実際には難しい。

  今後
   将来的には、残った生徒に対しても学習サービスを受け易いようにしてやること、またインター
   ネットにアクセスし易いようにして、その利用を計ることも必要である。
   転校生は市教委がチァーターしたバスで転校先の学校へ9月1日から通うことになる。 ただ親
   のなかには低い学力のクラスへ編入されことを心配している者もいる。

                 マグネット・スクールとは
   VOA News.com-EDUCATION REPORT(2004年8月号)によれば、マグネット・スクール
   Magnet Schools とは磁石がものを引きつけるように生徒を都市や地域全域から“引きつける”
   から、そう呼ばれている。
   このようにスクールは特別な才能を持っている生徒のために、特別な学習プランを提供している。
   例えば16才の少年は理科と技術に並みはづれた才能を持っているが、それに応えてくれる教科
   に重点を置くスクールで学んでいるし、11才の少年は全く聞こえない聾者である。 しかし彼は
   それに適したマグネットスクールに通っている。

   テキサス州HoustonにあるPorforming and Visual Arts スクールは1970年代で初めての本格
   的なマグネット・スクールといえようが、その後人種統合の政策が進められるにつれてデトロイト
   その他の地域に広まってきた。 今では全米的にコミュニケーション、国際関係、芸術、数学、理
   科などの教科に特別に重点を置くスクールとしてその評価を高めている。

            例 Bronx High School of Science
   このニューヨーク市にあるBronx理科高校は最も有名なマグネット・スクールであるが、1938年
   に300名の生徒で発足した。 今やニューヨーク市内全域から集まってきているがその生徒数は
   3,000名。 彼らは数学、リーディング、書き取りの厳しい入学試験に合格し、ここで理科の全科
   目と英語、世界史、アメリカ史、外国語を履修しなければならない。
   多くの卒業生は科学者、医者、法律家、ライターとして成功している。

コメント
   ご覧のとおり、なぜそんなに「改善を要する学校」が多いのか、しかし意外にも実際の転校希望
   の少ないこと、その受け付け風景、さらにはまたマグネット・スクールなどについても理解を深め
   ることができよう。

2004. 8. 31記                無断転載禁止