145. ゼロ・トレランス政策は修正する必要があろう


杉田荘治


はじめに
    ゼロ・トレランス政策に安易に頼ることによって、却って教育が必要とする愛情、信頼、善
   意などのきめこまかい配慮に欠け、そのような雰囲気の教育的環境が損なわれている。
   このことについて全米教育委員会ジャーナル(2004年9月号)など幾つかの論説が最近、見
   られるが、それらをまとめ、また筆者の第119編「ゼロ・トレランスから派生する問題」からの
   分も含めて、次ぎのような視点からこの問題について考察しよう。

T 校内暴力による致死事件が増えている

 1. 2002-03年度、全米では49件致死事件が起きたが、これは過去最悪の数である。
   内訳(公立・私立、通学途上、学校行事中を含む)
    ・発砲によるもの.... 23件    ・自殺.... 5件    ・殺人事件にからんだ自殺.... 6件
    ・喧嘩によるもの....  4件
    ・刺傷事件によるもの... 10件   その他1件
    【資料: National School Safety and Security Service】


   なおNSSC: 学校安全センターのページには、その一件一件について要約されている。

 2. USA TODAY(6/28/2004)号から
    2003年度の校内暴力による致死事件は48件で、これは過去の2年間の合計よりも多く、
   また過去10年間で最も多い。 (註、前述の数より1件少ないが、その他が含まれていない
   ためであろう。なお2002年度は16件、2001年度は17件であった)。

  理由
   ○ 2001年9月11日のテロリズム事件が起きてから、国の政策はその対策と麻薬対策に向
     けられ予算もその面に重点が置かれるようになった。 例えば2005年度連邦予算でも青
     少年非行対策費は40%もダウンしている。 すなわち2002年度では54,800万ドルであっ
     たものが2005年度には僅か21,000万ドルしか計上されていない。
     これは余りにも近視眼的な対策で“小銭をケチって大金を失う”ようなものである。
   ○ ギャングがらみの学校犯罪が増えている。

U 停学・退学の増加

 1.  例えばTennessee州の公立学校では1999年度と比較して2001年度には、停学になった生徒
   が11%近くも増えている。 実数にして3,651名から4,057名となっている。 このことはこの州
   の幼・小・中等学校生徒の1%が停学処分をうけたことになる。 9年生が最も多い。
 2. またある学校では16才の黒人生徒が9年生の理科の本のあるページをコピーせず、座席に座ら
   なかったので「不服従」として退学になった。

 3.  Ohio州で14才の少女がボタンのない下着を着て、胸と胴との間の部分が開いた服装で登校し
   たが、それは明かに服装規定違反であった。 彼女は先生がボーリング・シャツを着るようにいっ
   たことにも従わず、また母親が持ってきたTシャツを着ることも拒んだので、そこにいた市警の警
   察官が直ちに手錠を掛けて警察の車に乗せ、Lucas郡青少年裁判所の留置場へ連れていった。
 4.  また2001年にFlorida州Miami-Dade郡では2,345名の公立学校生徒が逮捕されたが、それは
   1999年と較べて3倍である。 しかもその60%は全く単純な暴行事件で、またそのなかには規則
   を守らない行為も多く含まれている。
 5. New Jersey州Sayreville で4名の幼稚園児が“泥棒ごっこ”をして自分たちの指をガンになぞらえ
   て遊んでいたために3日間の停学になった。 【3.4.5は前述第119編から抽出した】

V 女子教員が非常に多くなってきている。その分、男子教員が減っている

   すなわち小学校では男子教員が9%しかいないし、高校を含めても1/4に過ぎない。 これではゼ
   ロ・トレランスに頼らざるをえないことにもなろう。

 1. St.Louis Post-Dispatch(9/2/2004)号によれば、
   アメリカでは20年前には小学校男子教員は18%であったが、今やそれが9%になっている。高校も
   含めて300万人の全教員をとってみても1/4しか男子教員がいない。 1996年には25.8%であった
   が最近さらに低下している。 例えばMissouri州では21.7%しかいないし、Illinois州でも23.2%にす
   ぎない。

  なぜそんなに男子教員が少ないのか
  ○ 給料が他の職業と比較して少くない。   ○ 社会的にあまり尊敬されない。
  ○ 子供を育てるという仕事は女子に適しているという固定観念がある。
  ○ 生徒を手荒く教育して告発されるかもしれないという懸念がある。 実は家庭内暴力が圧倒的
    に多いにもかかわらずである。

    アメリカ最大の教員組合NEAも、2002年度全国代表者会議でこの問題を大きく取り上げているが、
   2003年10月に調査統計を発表している。 その%は上記の数字とほぼ同じである。 またサラリー
   との関係を強調し例えば公立教員の平均給料が全国第一位のMichigan州では37%の男子教員
   がいるのに、第50位のMississippi州では18%しか男子教員がいないことを証拠として挙げている。

   確かに教員給料の額の多寡が大きく男子教員の%に影響する。そのような施策がセロ・トレランス
   政策には大きく求められる点であるが、このことについて筆者は第83編などでも述べた。一部、
   下記しておこう。
    給料について州の間の格差は大きいし、また同じ州内でも富める地区や教委と貧しいそれらと
    では格差も大きいであろう
従って貧しい地区などでは低い指導能力の教員をかかえて低い教
    育水準に苦しむことになるし、また女子教員の率も高くなろう。 教員としての満足度も低下して
    いる。非常に不満 (1961年度 2.8%であったが1996年度には4.3%になっている)


    従ってわが国の教員俸給表のような標準給料表を創るなどして連邦が積極的に関与されること。
    すなわち、教育を地方分権的の事項より引き上げて、外交、軍事、人権などに準じた『準憲法的』
    なものとみなす。
例えば、最低給料表、教職経験・年齢などを加味した標準給料、初任給に民間
    の加算例などを
制定し、これを強行法規的なものとして、その額に達しない額の全額または2分の
    一などを連邦
または州が補助する。教職員としての誇り、生活の安定感、人材確保、地位向上は
    自ずから期せられよう

W ホームスクール生徒が増加している

   これも学校環境が悪化していることを示す証拠になるが前編144で述べたが、その一部
   を下記しておこう。
              ホームスクールを選んだ理由

 公立学校の環境が悪いから     31%
 宗教的・道徳的理由から    30%
 学校の教科や指導が適さないから     16%
  家庭的事情から     9%
  子供の精神的・身体的理由から     7%
  その他特別な必要性から     7%
            100%

 

X 修正すべき事項

    大きくは前述したように教員、とくに男子教員に「魅力ある職業」、「誇りのもてる仕事」とする
   ことが最も有効な対策であるが当面、次ぎのことが必要であろう。
  留意点
   ○ 親や住民をゼロ・トレランス政策を推進することに取りこんでいるか。
   ○ 例えば年齢や1回目の違反などを考慮したり、公平であるかどうか。
   ○ 告発された生徒に対する適法手続きは適切か。
   ○ データ-を定期的に集め分析しているか。また毎年、ゼロ・トレランス政策を見なおしてい
     るか。 学校からすぐ留置所や刑務所へという現象ではないか。
   ○ 重大な犯罪行為と学校が処理すべき違反行為とを区別すること。そして青少年裁判所が
     必ずしも学校の問題を解決するための適当な場ではないことを再認識すること。
   ○ 生徒に対する精神的健康面について、もっと考慮すること。 そのエキスパート、カウンセ
     ラー、ソーシャル・ワーカーの活用などである。

  なお参考までに校内銃器取締法 : Gun-Free School Act とはも再記しておこう。
      アメリカで1994年に制定され1995年10月20日から効力が発生した法律で「校内へ
     火器、凶器 を持ちこむような生徒に対して1年間の停学にすることができる」とされ、
     各州が地方教委に対し てそれを制定するように求めた。 もっとも地方教委のトップ
     はケースによって加減することができる旨の例外規定もある。『ゼロ・トレランス』政策
     も実質的にはこれと同じことで、1年間の停学にすること、また刑事事件として司法当
     局や青少年裁判所へ送ることも規定されている。 (ESEA 70章) 
     また、この法律を定めることによって連邦からの基金も得られることも明記されている。

    参考 わが国の女子教員の推移     文部科学省学校基本調査 資料編1.7. 2   

 年度/種別  小学校  中学校  高校
 1950年  49.0%  23.5%  18.4%
 1990  58.3  36.4  20.5
 2002  62.6  40.7  26.6
 2003  62.7  40.9  27.1

       なお参考までに本務教員の平均年齢は、2001年度
      小学校 43.4才    中学校 41.8才   高校 43.8才

追記 
    アメリカで中正、妥当な論説で知られるASCD:Association and Corriculum Development 
   の事務局長Gene R. Carterさんが同誌2004年9月号に"Is It Good for the Kids?"と題する
   論考を載せている。 紹介しておこう。
    新学年が始まったが生徒たちは不安を感じている。というのは彼らはクラスメートや新しい
    先生、規則などの学校生活を巧くやっていけるかどうか心配しているのである。
    最近、二つの報告書が発表されたが、そのいずれも生徒、親、教員ともに生徒問題と安全
    について懸念している。

     第一、Public Agendaによる報告書によれば10人のうち7人の中等学校、高校教員が自分
    たちの学校では、クラスを混乱させる生徒によって深刻な問題があるといっている。それは
    さぼり、ごまかし、傲慢、いじめなどの問題であるが、しかもそれらを到底打ち負かすことは
    できないので、学校環境が悪くなると予想しているからである。
     第二に、全米病気予防センターの分析によれば、武器を持ちこんだり、暴力沙汰になる事件
    は1993年以降減ってきているが、それでも生徒たちは学校は安全ではない、と考えて欠席
    する者が増えている。
    ゼロ・トレランス政策や学校に警察官を常置する策は強化されているが、これらのアプローチ
    は極端な校内暴力に焦点を充てたもので、積極的な学校文化には何ら関係のないものに
    なっている。 また新教育改革法によって一部の生徒を転校させたり排除したりしているが、
    これも一部の生徒の問題で、大部分の生徒の問題解決にはなっていない。

     学校は生徒が安全で愛情のあるなかで育ち、経験を積んで行く所であるが、そのためには
    何よりも信頼と尊敬という文化が基本的なものでなければならないが、それが希薄になって
    いるのである。なるほど標準テスト、結果責任、学力向上などが求められる現代にあって、こ
    のような教育の長期的対処は難しいかもしれないが、恐れや不敬といった学校文化を害する
    ものを少なくするということについて、我々は誤ってはならない。

コメント
   ゼロ・トレランス政策を校内暴力による致死事件の増加、女子教員の増加などの視点からこれ
  を見て、その政策を修正する必要性について述べた。しかしそれはアメリカ自身が決める問題
  である。わが国では、このような視点や統計から、この問題を検討する実証的研究が殆どない
  ように思われるので、この論考はわが国教育関係者には参考になろう。

 2004. 9. 14記             無断転載禁止

                  続き   わが国の場合はどうか

    中高一貫教育で“進学校”を謳っている私学にはゼロ・トレランス方針を積極的に採用し、それ
   なりに効果を挙げているところもあろう。 しかし通常の公立学校で厳しいゼロ・トレランス政策
   がそのまま通用するとは考えられない。 むしろ長期的にみればアメリカ以上に負の部分が広
   がることが予想される。

    前にも述べたことがあるが、[よく話してきかせれば、聞き分けてくれる]という子育てや教育の
   方法は、わが国の伝統であり長所である。 その基本は今も変わっていない。この方針と方法
   に拠って学校(校長)が毅然たる姿勢を堅持することである。 例えば参観授業で親が騒がしい、
   運動会でわが子の写真を取るのに審判の先生が邪魔になるなど、本末転倒していることを正す
   ことができないで、変に親に“サービス”するような雰囲気の学校や校長ではでは問題にならな
   い。 また指導の方法が少しいびつだからといって一生懸命に生徒指導に取り組んでいる先生
   を批判し、その意欲を殺ぐようなことこそ問題なのである。 学校(校長)の“芯”が問われる

    「よく話してきかせても」なお非違行為を繰り返す生徒に対しては、停学「出席停止」もやむを得な
   い。“やむを得ない”のであって、アメリカのように停学、退学が大幅に増えるものではない。また
   その生徒に在学の願いがある限り退学にはしないこと。 このような場合は校長(学校)が“生ぬ
   るい”との批判を受けるものであるが、その場合でも毅然として方針を貫く覚悟が問われよう。

    最後に最近、「教師が....」、「教師が..」と特に大都会の一部“悪い”教員や無能な教員を誇張して
   報道し、結局、教育そのものを揶揄し嘲笑している放送番組も見られ残念である。このようなもの
   に対して強く抗議できないような教員、学校、教委、教員組合であるとしたら、それこそゼロ・トレ
   ランス以前の問題であろう。 
    2004年9月末記


追記  平成23年(2011年)6月11日記記載した次を参照してください。    
     248,最近のアメリカのゼロトレランスとわが国の“ゼロトレランス”