藤野 義忠さんのページ 2
『熱海市つれづれに思う』


坪内逍遥さん(大正9年から昭和10年まで熱海市在住、熱海市で没76才)作詞の熱海市歌に、「真
冬を知らざる常春熱海」とあります。 気候温暖、風光明媚な温泉都市熱海は、かって新婚旅行地
として親しまれてきました。 熱海湾を抱くように東に低く真鶴半島が延び、西には網代地区が控え、
えくぼのように初島が浮かんでいます。
鎌倉幕府三代将軍源実朝の歌に、「箱根路をわがこえくればいづの海や、おきの小島に波のよるみ
ゆ」とあります。 実朝の眺めた初島あたりは多少荒れて波立っていたのでしょうか、それとも心眼で
穏やかな海に波を想像したのかも知れません。
 
標高120メートルの熱海城のある台地から市街地は、箱庭のように見渡すことができます。海岸線は
お宮の松、サンビーチ、ムーンテラス、洋風の整備された公園が続き、ヨットが係留されて欧風の趣
きがあります。熱海港から島通いの船が夢を乗せ、航跡を残して出ていきます。 背後に連なる高い
山々から傾斜地が湾を囲むように迫り、そこにマッチ箱のようにホテルが立っています。
海の香輝く断崖の錦が浦から遠くの大島近くの初島の眺めは天与のものです。 当市は東洋のナ
ポリに譬えられます。ナポリ市程の悠大さ、明媚さ、史蹟には及びませんが夜景は10満ドルの価値
はありましょう。熱海梅園は日本式庭園で、梅と紅葉で広く知られ、MOA美術館は遠方からの見学
者で賑わっています。細い坂道を湯^遊^バスが兎のように軽やかに観光宅配便の役を演じていま
す。
坂道が多くて自転車が利用できないのは仕方ありません。 広場が少なくてゲートボール場が殆ど
ないのは止むを得ません。芸術、文化の薫りがもっとほしいと思います。 定期的に参加、観賞でき
るような施設、機関が望まれます。物価が近隣の市、町並になるよう願っています。
観光保養地として清新清潔な環境つくりを進めることは重要な課題です。 市担当者の企画施行の
もと、心ある市民の奉仕活動で相当成果があがっていると思います。小地域毎に市民の協力参加
が望まれます。しかし中には全く無関心な行為を見かけることがあります。 愛される都市として環
境の整備美化を進め、もてなしの心で対応したいものです。
熱海市の東部伊豆山鳴沢山の中腹に興亜観音があります。昭和13年復員され、この山の麓に住ま
れた中支派遣軍司令官松井岩根陸軍大将が発起人となり、市の有力者が協力して、昭和15年に
造営されました。大小の観音像の体内には、昭和12年の上海、南京市での激戦で戦死された日本
軍、中国軍、更には多くの犠牲になられた無辜の市民の血で染められた土が蔵されています。
高さ3メートルの大観音は堂の外で遥か南京市の方向に合唱慰霊されています。松井大将の願いが
込められています。 高さ60cmの小観音は堂宇に安置されています。近くに自決された従軍看護婦
の慰霊の堂宇があります。 上海、南京市の攻略当時は日本軍の破壊暴行など非道な行為があっ
たと言われています。
戦争は冷静な判断を失い、心を鬼にしてしまいます。 かってベトナム戦争においても米国軍も市民
を虐殺したと伝えられています。戦争は人類への最悪、最大の罪です。興亜観音に詣でて過去の過
ちを繰り返さないように誓って欲しいものです。 昭和23年12月に松井大将(上海、南京攻略当時の
司令官)はA級戦犯として処刑されました。私たちのささやかな願いで平和が達せられるものではあ
りませんが、その意志と実践こそは確かな道標となりましょう。戦争をしないために、東洋、世界平
和のために軍備の増強整備を進めて、不沈空母への志向は否定はできませんが釈然としないもの
があります。
  2001. 3月寄稿