石を愛でる

               藤野 義忠

     翁は終には石を愛好するようになります。
     それは単なる路傍の石ではありません。形容整い優雅泰然の貫禄があり、色彩模様に妙なる趣きの
     ものです。 若い時に小野小町、楊貴妃へのはかない憧れの気持をもったことに似通ったものでしょう
     か。 大きさによっては庭石とし、床の間に飾り、机上で眺めます。 人と石相対して語らず、聴かず
     悠久の時の流れを越えて、しばし世の栄辱、富貴貧賎を忘れて、静寂平安な一ときとなることができ
     ます。 環境に恵まれて庭石に遠く借景を添えることができれば一層の楽しみとなります。 京都竜
     安寺の石庭では人語らず石自ら答えて生かされていることに気付くことがあります。

     私達は常に平常心でいることができず、時にたかぶりの気持になることがあります。 若い時代に
     は異性への憧れがつよく、人の心の複雑微妙さに戸惑ったこともありましょう。 社会人として自ずか
     らの判断の不明から好ましい結果が得られなかったり、不用意な言葉で幾度か人の心を傷つけて
     人間関係の対応に苦慮したこともあったでしょう。 何気ない言葉で伴侶の感情を損ない、参った参っ
     たの思いを深くされたこともあったでしょう。とにかく何事にも我慢して言行を慎み、控え目に生きるこ
     とこそ無難なりと気付くようになります。

     何時とは知らず感情の伴わない植物庭木に関心が傾くようになるのは自然の流れでしょうか。 肥
     料を施し、剪定に励むようになります。手間暇かけて相応の反応が感ぜられるときは嬉しく、生活の
     潤いになります。日照時間の少ない山狭の地では植物育成には致命的です。施肥、水やり、日照、
     寒い季節の保温は欠かせません、億くうになって手抜きすると物言わぬ植物はすぐ勢を失い、枯れた
     りしてがっかりすることがあります。 それに専門的な知識や技量不足から自信を失うようになってき
     ます。 更に年齢を重ねると、あまり気を遣うことなく平凡に生きることこそよけれと思うようになります。

     弱いものの生き方でしょうか、所詮ままならぬ世の中、諦め易くなり、動作が緩慢になり細かい事が
     苦手になります。 手をかけなくとも反抗もせず表情を変えぬ石を楽しむようになります。 脱社会とい
     う孤独感によるささやかな慰めでしょうか。 私達の望みや憧れはゆるやかに変質して他人を許し受け
     入れて、争わず競わず一人楽しむようになります。 不器用に生きて、あまたの不義理を詫び悔をそ
     のまま胸に収めて、今の平安を喜んでいます。苦労と我慢の人生に、寄る年波の深い皺の名もない
     翁は、無言不変の石と対峙すれば心の古里での憩となることでしょう。その一幅の姿はまさに涅槃
     でありましょう。人は終には石の下に還っていくものです。

      2002. 4月寄稿