『教師の日』の制定を       

                                                 酒向 健


 この頃、学校 ・家庭教育に、次の時代を託する子供を教え育てるという意欲のこもる活力
が感じられない。生涯をただ学校教育一筋に捧げてきた者として、その様子を見ながら、もし
時間を後戻りさせて校長時代まで立ち戻ることが出来たならば、『先生の日』を学校行事に
設けたいものと考えている。
 私の友人、山本十次先生から、[昨年タイの国を旅行して、六月 十二日の朝、街に出てみ
ると、正装した親が花束を持った子供と歩いている姿を多く見かけたので、「何かあるので
すか」と尋ねると、今日は祝日『先生の日』で、親子共々に学校に行って、日頃お世話になっ
ている先生に、子供から感謝の印に花束を差し上げますと楽しそうに話してくれた] という
話をお聞きした。
 私も韓国、中国、台湾を訪れて、先生方とお話した時、『教師の日』が国の祝日になって
いて、親も社会も子供に先生を尊敬せよと教え、先生も教職を聖職と考え、誇りと自信を持っ
てお仕事をされていると拝聴して、戦後わが国では先生方から聖職者意識の減退している
状況を反省させられた。
 教育という仕事は子供達に勉強という厳しい修業を課す仕事である。先生には[愛情を持っ
た子供とのふれあい] が求められる。 しかし、マスコミ 等を通じて、聞こえてくる内容は体
罰はいけないと言うような話が多く、子供達に苦しさを乗り越えて得られる成就の喜びを教
えなければならないというような声は余り聞こえてこない。
 私は愛知淑徳大学で、十四年間教職課程の責任を担って、多数の教員を送りだした。
その誰もが一人として、教師は労働者だから教師になりたいと言った者はいなかった。 誰も
が教師は子供達を教えるという尊い、一生捧げるにふさわしい仕事だから教師になりたいと
訴えた。 その初心にこもる迫力が、教育現場には感じられない。 何故だろうか。
 学校経営にあたって校長が最も配慮すべきことは、家庭的 ・教育的 ・研究的雰囲気の漂
う学校創りにあると思う。 そのためには、まず、教師と生徒と親の間に、「敬 ・ 愛 ・ 信」の心
情に結ばれた人間関係創りが大切である。
 昭和三十年代、愛知商業高等学校の校長片山三郎先生が、[学校に“先生の日”を設け、
当日は先生のご家族を招待して、日頃先生の学校でのお骨折りの様子を映像に録画してご
覧いただき、お食事をともにして、ご家族の労を感謝申し上げることにしています] と話される
のを感銘深く拝聴したことが忘れられない。
 校長時代、私は先生方には生徒の家庭訪問をお願いし、校長は先生方の家庭訪問をと申し
上げ、折々にお訊ねしては、先生の学校でのお骨折りの様子を申し上げ、ご両親、ご主人、奥
様には感謝申し上げ、お子様には励ましの言葉を送った。
 もし、時を逆行させて、校長時代に戻ることが出来れば、今なら学校に『先生の日』を学校
行事として設け、生徒会、PTAの協力を求めて、先生の日頃のお骨折りに対する感謝にふさわ
しい事を行いたいと考えている。そして、その実践を背景に、県P連に訴え、県内に広め、さらに
全国的な動きにまで育てるように努力し、ゆくゆくは我が国にも、『教師の日』が国の祝日とし
て、校内行事にとどまらず、地域有識者を集めての行事にまでしたいものと考えている。
 このころのように、学校は家庭教育の不在をかこち、家庭は学校を批判しているような状況で
は救いはない。
私は、我が国にも、まだまだ師を尊敬するという教育の基本土壌は枯渇してい
ないと思う。
..愛知県私学年金連盟会報 8号掲載 ・ 1999年6月に寄稿された。
[註] 酒向 健氏は元愛知県立高校長を歴任され、その間、公立高校長会長としても活躍
   された。その後、愛知淑徳大學教授として教育学を担当され名誉教授でしたが、
   2010年9月に逝去された。謹んで哀悼の意を表します。