189. 教育クーポン券(教育バウチャー)


杉田荘治


はじめに
   次期首相の最有力と目される候補の政権構想の一つは教育改革である。 主なるものは
   教育基本法の改正、学校評価、教員評価、教員免許の更新制度のようであるが、そのな
   かに教育クーポン券(教育バウチャーといわれる)の問題も含まれていると、一部のメディ
   アが伝えている。 いずれ時間が経てば、その内容が明らかになるであろうが、しかし、教
   育ク-ポン券そのものについても、わが国では余り知られていないように思われる。
   なお、Voucherのことであるからバウチァーというべきであろうが、一般的にはバウチャー
   といわれているので、そうよんでおこう。

   ところで、この問題については既に第48編第69編で『学習クーポン券』として述べたので
   あるが、最近、問題となりつつあるので、アメリカの最近の資料も加えて改めて要約するこ
   とにする。

T 教育クーポン券とは
   アメリカ(U.S.A.)で低学力校から私立学校へ転校する生徒に対して政府、自治体からの補
   助金のことであるが、その支払いは現金ではなく、クーポン券でなされる制度である。一部、
   チューター等の個人指導のものも含まれよう。


   しかし、この教育クーポン券の制度を広義にとって、『国は教育費を国民全員に公平、平等
   に配布すればよい。 そのためにクーポン券を支給し生徒・親が自由に学校を選択すれば
   よい』という趣旨の解釈もある。(森首相の私的諮問機関である教育改革国民会議の中間
   報告)。 また、なにもクーポン券という形をとらなくても、サービスの利用に応じて、政府か
   ら個人への補助金の仕組みも事実上、教育バウチャーといえよう。(文部科学省、平成16年
   11月5日提出資料 教育バウチャーについて)などである。
 しかし一般的には上記のように
   私学への転校生や個人教授のさいのクーポン券のことである。

U アメリカの場合
   州によって、Voucher Scholarships ProgramとかOpportunity Schlarships
などと呼ばれ
   ているが、内容的には大差はなかろう。 そこでフロリダ州の例を下記することにする。
   
    
フロリダ州知事の説明要旨 Opportunity Scholarships Program

  1. 教育クーポン券とはどんなものか
    フロリダ州政府から支給する学資補助金制度ですが、教育クーポン券で、国語や数学で
   成績の悪い公立学校から他の私立学校、教区学校へ転校する生徒を助けるためのもので
   す。


  2. 学校評価(公立学校のランキング)  School Performance Grading System
    すべての公立学校を、主としてFCATという学校評価によってAランクからFランクまでにラン
    クを付けます。 そしてある学校が4年間のうち2年間、Fランクとされると、その学校の親・
    生徒は次ぎの方法の一つを選んで転校することができます。 
     ○ 郡内または隣接の郡にあるCランク以上の公立学校へ。
     ○ 教育クーポン券を使って、他の良い私立学校へ。

  3. 教育クーポン券は、どこで使うことができるか。
    州の必要要件に合っておれば、どの私立学校でも使用することができます。 また定員に
    余裕がある隣接の郡の学校でも構いません。

  4. 効果
    教育クーポン券制度は上記のように慢性的に失敗している公立学校の生徒を助けるもの
    ですが、しかし総ての学校に刺激を与える効果もあります。 実は今までも私学に対して
    補助金を支出してきましたので、この制度は全く新しいものともいえません。 参考までに
    1999-2000年度には4,600万ドル支出しました。 またアメリカでは既に、Milwaukee
    (Wisconsin), Cleveland(Ohio), Vermont, Maine, Minnesota, Arizona などで、このよ
    うな「学校選択」が行なわれています。
  
  5. 私立学校の義務
    この計画に参加する私立学校は、受け入れる生徒を選別することはできません。 定員が
    オーバーするときは抽選によります。 また受け入れた生徒に対して、祈りや告白などの宗
    教的信条を強制することはできません。  しかし、州の標準テストを他の公立学校の生徒
    と同様に受けさせなければなりません。 FACT,国語、数学、またフロリダ書き取りテストの
    ことです。  なお、2000年秋現在で、この計画に参加している私立学校は130校あります。

   【註】しかし、フロリダ教育局のSCHOOL CHOICE 2005年11月発表によれば、その参加校は
     53校である。 なお生徒一人当たりの補助額は貧富の程度によって差があるが、その
     均は年額4,200ドルである。 また受けている生徒は州で733名であり、ここ数年間ほぼ
     同じ数である。 なお参考までに、オハイオ州では1999年度分であるが、その生徒数は
     3,761名で最高額は年額2,500ドルであった。【第48編参照】 しかし、オハイオ州でも、そ
     の額は増えて2005-06年度には平均4,205ドル(約50万円)となっている。(オハイオ州教
     育局)。

  6. 通学手段
    他の公立学校へ転校した生徒については、受け入れ先の通学手段によることになりますが、
    私立学校への転校については、それは親の責任です。

  7. いつまでか
    教育クーポン券は8年生の終わりまで利用することができます。 しかし元の学校がCランク
    以上になったときは、その時点で打ち切ります。

  8. 『政教分離の原則』からみてどうか
    問題ありません。 フロリダ州最高裁もそのように判断しています。 『註 連邦最高裁の分
    については後述する』


  9. その他
    Fランクの学校についても配慮しています。 例えばEscambia郡の2校については生徒一人当
    たりの予算をAランクの学校より40%も多く充てていますし、校長が独自で放課後学習指導の
    教員を採用したり、また土曜日個人・個別指導に充てること、年間の授業日数や国語、数学
    の授業時間を増やすこと、生徒と面談する相談員の増加などにも充当できるようにしています。
    また、ここでは6週ごとに一回は夕方、PTAが開かれています。 従ってAランクの学校より生
    徒一人当たり800ドルも多く充てています。


            連邦政府は教育クーポン券制度をどのように考えているか

   最近(2006年8月)、Margaret Spellings連邦教育相は見解を発表しているので、それを要約
   しておこう。
    「すべての子供たちは親の所得のいかんに関わらず高い質の教育を受けることができるは
    ずです。 そこで、ブッシュ大統領は5年以上も州の学力標準テストで失敗した低所得層の
    多い学校の生徒たちを教育クーポン券によって、助けようとしています。 すなわち、その
    学校の生徒たちが、他の高い学力の公立学校やチャーター・スクール、私立学校へ転校
    したり、また集中的な個人教授を受けるさいに教育クーポン券を利用する仕組みです。  
    このことは、2014年までに、すべての子供たちが国語と数学で、その学年に合ったレベル
    に達することを目指している新教育改革法:No Child Left Behind法の方針にも合致するも
    のです。

    チャーター・スクールも5年前は2,000校でしたが、今では3,600校になりましたし、教育予
    算も議会に対して2億ドル増を要求しています。 またTitleT関係の予算も130億ドルになっ
    ていますが、教育クーポン券制度は、これらを補うものになりましょう。  前にも述べました
    ように6年間も低学力校で足を捕られている生徒たちを、そのままにしておくことはできま
    せん。 この制度はそのための対策の一つです。 【註 TitleTなど教育予算については
    第165編を参照してください】。

    首都ワシントンで2年間にわたり実験もやってみましたが成功しました。 そこでは連邦政府
    の資金によって、1,700名の生徒たちが助成金を得て彼らが選んだ学校へ通いました。
    アメリカに生まれた人は、いろいろな枠を超えて相続していける価値ある機会が与えられな
    ければなりませんが、教育はそのための権利なのです」。

           教育クーポン券についての世論

    ご承知のようにPhi Delta Kappaの世論調査は最も信頼のできる調査であるが、その最近の
    第38回調査の結果から、関係個所Table 5を要約しておこう。  この教育クーポン券につい
    ての質問は1993年に始められたが、それ以来、同じ質問である。

     質問 「親や生徒は公金を使って私立学校へ通うことについて、賛成ですか、それとも
         反対ですか」
     結果   賛成 36%、 反対 60% (前回第37回のさいは、賛成38%、 反対57%)
   【コメント】 このように反対が多く、またそれが少し増えてきている。 もっとも最初の年の
         1993年調査では賛成は24%であった。 IndianaPolis Starも2006年8月23日号
         で、この結果を取り上げて、1,000名の回答者の60%の者が反対している。わが
         Indiana州でも巧くいかず、次ぎの議会で再審議することになったと報じている。
         その理由は、公金を垂れ流す。  政教分離の原則に反する。 受け入れた私学
         の良い点を損なうものになる、などである。

             失敗例

    これについては既に第69編でフロリダ州のある郡の例を述べたが、やはり難しい事情が
    起こってくるようである。 要点を下記しておこう。

      すなわち、Miami-Date郡では、この8月以降、4人に1人は元の学校に戻り、その流れ
      は今も少しづつ続いているが、その理由は次ぎのとおりである。
       ・通学が不便になった。  ・親しい友達や先生がいない。  ・自分に適した授業が
        ない。  ・厳しすぎる生活指導
       その他 ・特に低所得の家庭にとっては私学への通学やランチ代が負担になる。
      ・私学は余りにも親たちを、学校行事に参加させようとする。
      ・クーポン券を取り扱う民間会社にドルを得させすぎる。  などである。

           教育クーポン券は『政教分離の原則』憲法問題からみてどうか

    このことについては合憲とされている。 また既に第48編で詳述したので、それを参照してほ
    しいが要約しておこう。
     
      連邦最高裁は、今年(2002) 6月27日、5 : 4の多数決によって、この学習プログラム(教育
      クーポン券のこと)は合憲であると判決した
。 それは1995年にOhio州の州議会がバウチァ・
      プログラム: Voucher Scholarship Programと呼ばれるこの制度を発足させたことについて
      の判断であった。
      判決理由
     ○ 真の親の学校選択の一つである。
     ○ 既にこの学習券プログラムを受けている生徒の96%は、宗教系の私立学校へ通学している。
     ○ このプログラムは明らかに失敗しつづける公立学校に通っている貧しい家庭を援助しようと
        いう、宗教・教会に関係のない世俗的目的(secular purpose) から捉えるべきである。

    しかし、この判決以前の第6巡回裁判所の判断は逆で、そこでは違憲とされていた。
     Simmons-Harris v. Zelman事件       2000年12月11日判決 
     宗教系学校にもいろいろあるが、しかし世間一般の事柄についてもハンドブックや使命で、
     その宗教的信仰を織り交ぜている。 また宗教的行事への参加、科学や語学の授業でも宗
     教的理想を求める雰囲気がある。 ある学校では、創造者としての神、キリストの旗、誓い忠
     誠などが求められる等であった。  地裁の判断も同様であった。

おわりに  − わが国の場合はどうするか

   新政権のこの問題についての構想や内容を待つしかないが、次ぎのようなことがいえよう。
   @ わが国ではアメリカとは異なり、転校することができる私立小学校や中学校は地方によっ
     ては全くないところが多い。 また学校評価によってFランク(失敗校・学力不振校)とされ
     る公立学校それ自体がないのであるから、アメリカのような教育クーポン券を使用する方
     法がありえない。
     アメリカでは本文で述べたように州の学力標準テストの成績、それも多くは3年生〜8年生
     の国語と数学の得点によって、学校のランクが決められることが、この教育クーポン券制度
     の基本である

     しかし、わが国では、近く実施されようとする6年生と中学3年生に対する国語と数学の全
     国学力標準テストでさえも、学校別の成績は公表されないということであるから、Fランク
     の学校を特定・公表することができない。  

   A 『政教分離の原則』に反するがどうかについては、わが国では、まず問題になることは
     なかろう。 今でも宗教系の私立学校に対しても他の私立学校と同様に私学助成が行な
     われている。 それは私学教育も共通して公の教育≠担っているとする考えかたが、
     わが国では普通であるからである。
   B 従って今後、わが国では低学力校などを特定せずに、放課後特別学習、土曜日などの
     休日における指導、個人指導などに適用することを想定しているのであろうか。 それと
     も@で記したように、アメリカと同じような学校評価を行ない、これを基として実施しようと
     するのであろうか。  それとも本文のなかで記したように、親の『学校選択』権を尊重し
     て、公立、私立を問わず、この教育クーポン券を使って自由に学校を選択させる、という
     のであろうか。 当然、そこでは学区は崩壊する。
 牛の角を矯めて牛を殺す♀険
     もあろう。

   C それとも職業訓練を受ける者、幼稚園・保育園児に対する補助制度なのか。 あるいは
     過疎地から私立学校へ通う生徒に対する補助制度なのか。

 2006年9月11日記             無断転載禁止