18.インターネットの日系二世部隊

杉田 荘治

はじめに

 ある旧友から、今年〔1999〕 一月に[インターネットの日系二世部隊]について調べてくれないかとの依頼を受けた。 それに応えて簡単な記事を送ったが、それも[インターネットの利用・例]の一つになると考えた。
 ご承知のように、日系二世部隊・442部隊は第二次大戦中、アメリカ陸軍の日系二世によって編成され、アメリカへの忠誠心と日本人の誇りとを持って激戦地に赴き、多くの死傷者を出し、輝かしい武勲を立てて日系人の地位向上に大きく貢献した部隊であるが、ここではインターネット上にある資料を中心にして記述する。

1. 和文の記事

 少しインターネットで検索していると、Infoseek Japan が多くの資料を持っていることがわかる。 そこで[日系二世部隊]と検索すると、約 12件出てくる。 もっともこの件数や順序は日々変動する。

 野口宣成『日系アメリカ人の歴史瞥見』がよい。 それには442部隊のことだけではなく、その背景となった歴史を、1868年(明治元年)に日本政府が派遣した契約労働者・149人がハワイに到着したことに始まる初期の状況や、その後の排日運動、一世と日系市民の強制収容、また戦後、その強制収容問題の決着、さらにはアメリカ国勢調査にみる日系人の人口の推移などが幅広く、しかも要領よく纏められている。

 ここでの主題てある日系二世部隊に関しては、1942年 5月にハワイで日系二世だけの第100歩兵大隊が編成され、その年の5月、新たに二世の志願兵で第 442歩兵戦闘連隊が編成されて、同年6月、100歩兵大隊と 442部隊とが統合され、ヨーロッパ戦線に投入されたことがわかる。 1944年 10月、彼らはドイツ軍陣地の奥に取り残されたテキサス兵の大隊 211人を救出するために、442部隊は、184人の戦死を含む800余名の犠牲を払ったことが述べられている。
その他、それには第二次大戦には、全部で3万3千人以 上の二世が従軍し、うち6千人が太平洋戦線で従軍したが、そこでは二世だけの部隊は編成されず、彼らはインテリジェンス・サービス(MIS)として、日本軍の作戦命令の翻訳や暗号の解読、捕虜の尋問などに従事したことが書かれている。

 次に、『二世部隊物語』作品ヒストリ『新・二世部隊物語 死者の四日間』のルーツ・黒沢哲哉を見ると、当時、真珠湾奇襲によって反日感情が高まり、日系人は家を焼かれたり、強制収容所に入れられたりしていたか゛、アメリカ市民権を持つ二世〔両親のどちらかが日本人〕青年たちが志願兵として名乗りでた。 彼らは祖国はアメリカ、心は日本人としての名誉と誇りとを持って、進んで激戦地へ赴き“GO FOR BROKE”: 当たって砕けよ ! を合い言葉に弾丸の雨の中へ飛び出して行った。
部隊の終戦時の記録は、大統領殊勲感状 7、個人勲章 1万 8143であり、一連隊としてはアメリカ史上、最多記録であった。 また戦死傷率も 314%と、他とは比較にならないほど多かった。 このように日系人の地位向上に大きく貢献したことが書かれている。 著者・望月三起也

 次に、本の紹介としては、西山 千『真珠湾と日系人』サイマル出版社、1991年 12月がある。 移民法改正にウォルタ.H.ジャット下院議員という人物の尽力があったことが書かれているとのことである。

 次に、Yomiuri On-Line の『20世紀はどんな時代だったのかーアジアの戦争・日系米兵』も参考になる。敵国人と同じ顔をした日系兵が、米国に忠誠を証明するには、米軍の軍服を着て戦うしかなかったことや、日本語学校で、武士道や[肉弾三勇士]を教わっていた二世は、普通のアメリカ兵が考えもしない決死のバンザイ突撃をおこなった、とハワイ在住のツキヤマ氏の心情を伝えている。 またトルーマン大統領も「諸君は敵と戦っただけではなく偏見とも戦い勝利した」との言葉を贈っているが、「二つの祖国」を巡る思いは単純ではない。 国籍とは何か、日系人のアイデンティティーは今後も問われ続けられていくように思われる。

 また、教科書については、ホートン・ミフリン社の「南北戦争から現在まで」と「アメリカの声ー合衆国の歴史」の中で人種差別と強制収容、日系二世部隊その他の問題が述べられているとのことである。それでは、英文の記事はどうなっているか。次に見てみよう。



2. 英文の記事

 Yahoo で" japanese american military" と打って検索すると、その三番目あたりに History of the Japanese Internet During WWW U なる記事があるので、それをクリックしてみると、「忠誠心を示すために」と442部隊のことが、少し述べられている程度なので、Infoseek を利用して、american-born japanese military で検索する。 その中にStone & Stone Second World War Book がある。 その中ほどに、Tanaka さんとCrost さんの述懐が次のように述べられている。
すなわち、442部隊はAnzio というところから出発し、ハワイからの二世部隊と合流して猛訓練を受け、ローマ北部に到着し9月間にわたる死闘を繰り返したこと。いかなる敵に対しても“当たって砕けよ”と突撃した。 また442部隊の母隊ともいうべき100大隊は徴兵された兵士であったが、442部隊の兵士は志願兵であったので、より誇りにしていたこともわかる。

 その他、442部隊ではないが、二世として日本語の能力を買われてMISとして、軍司令部に配属されて、日本軍の作戦、状態、移動、兵器の特徴、捕虜の日記や文書の翻訳などに従事し、なかには第一線に出ていったので、傷つき死んだ者もあったし、また簡単に近づけない場所に落下傘で降りて飛行中隊に配属された者もあったことが書かれている。
 次にJAPANESE-USA Citations from the Global Prayer Digest を見みよう。 そこには、442部隊とは直接関係のない話しではあるが、孫が二世である祖父に彼の心境を尋ねたところ、彼は「自分たちは日本人なのかアメリカ人なのか、よくわからない時がある」と答えている。

 最後に判例が一つ載っているので紹介しておこう。 それは、Hirabayashi(平林)さんなる人物が『外出禁止命令』に違反したために有罪とされたことを不服として、控訴裁判所に控訴したが、結局、却下された事件である。その『外出禁止命令』とは、1942年 2月 9日、大統領命令に基づいて西部防衛司令部から発せられた、[指定された範囲に住む日本人を先祖に持つ住民は、午後 8時から午前6時までの外出を禁止する]との命令であった。
 彼は、これに違反して連邦地方裁判所で有罪とされたのであるが、控訴裁〔第 9巡回裁判所〕も同じ結論を下した。 しかも、ある判事は更に補足意見として次のように述べている。 すなわち、
「パール・ハーバの非道な爆撃によって、西海岸に侵入されることは空想ではなく、現実の問題になった。そして日系人は、その日本軍に協力する惧れがある。 しかも、この緊急時に当たり、裁判所が知り得ない軍の秘密事項もあろうから、その命令をかれこれ批判することは出来ない」 という意見であった。  戦争の持つ不合理性の例として、ここで採り上げた。

 以上のInfoseek の他にAlta Vista やHotBot. Lycos などを利用してもよいが、概念を広く捉えるためか、出てくる資料が多すぎて、そのぶん 442部隊関係の記事を探すのに苦労する。 今まで述べてきたように、和文、英文ともに少し丹念に探せば見つかる。

【註】 最近、NHK で関連のドキュメントが放映された。

 1998年2月記載