201 文科省通知『懲戒・体罰』と杉田の論述


杉田荘治


はじめに
    文部科学省は今年(平成19年)2月5日、初等中等教育局長名で『問題行動を起こす児童生徒
   に対する指導について』として通知されたが、それは今まで杉田が述べてきた論述とほぼ同じ
   うな趣旨と思われる。 しかもそのうち「東京高裁判決」と「有形力の行使」ついてよく質問され
   るのて゛、これを取り上げ、それに関連する杉田の論述を再掲することにする。

T 東京高裁 昭和56年4月1日判決について
  1 前述の文科省『通知』は次ぎのように述べている。
     学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方

   児童生徒に対する有形力(目に見える物理的な力)の行使により行われた懲戒は、その一
   切が体罰として許されないというものではなく、裁判例においても、「いやしくも有形力の行使
   と見られる外形をもった行為は学校教育法上の懲戒行為としては一切許容されないとするこ
   とは、本来学校教育法の予想するところではない」とした。(昭和56年4月1日東京高裁判決)

  2 杉田の論述
    前述の東京高裁判決については第180.編 『わが国の体罰判例を読む』で次ぎのように記し
    てある。

      懲戒としての“体罰”について典型的な判例は『女子教諭体罰(懲戒)事件』であると考える。
     東京高裁 第3刑事部 昭和56年4月1日判決
                       資料: 刑事裁判月報 昭和56年度 13巻4号 341頁

     中学校の教諭が平手と軽く握った拳で生徒の頭部を数回軽く叩いたことは、学校教育法
     11条、同規則13条によって認められた正当な懲戒権の行使であり、違法性がないとされ
     た判例である。   従ってその教諭は無罪

      事実
  ○  昭和51年5月12日水戸のある中学校の体育館で全校生徒に体力診断テストを実施する
    ため、約400名と十数名の教師が集まっていた。 ところがその時、2年生のその生徒が「何
    だ、Kと一緒か。」とその教諭の名をいい、友達にずっこけの動作をしてふざけてみせた。
  ○ そこで教諭は前述のように叩いたのであるが、他の生徒たちの証言によれば、こづく、とい
    う状態であったし、大多数の者もこれに気付かず、特別周囲の注意をひくほどではなかった
    し、生徒自身もとくに反抗したり反発したりせず、おとなしく叱られていた。
  ○ 生徒の身体に傷害や後遺症を残すような証跡は全く存在しない。
  ○ その8日後、不幸にも生徒は死亡したが、当時生徒は風疹にかかっており、また生徒はバ
    レーボール部員でもあったことなどから考えると、その死亡との因果関係を示す証拠は全く
    ない。
  ○ 生徒は性格が陽気で人なつこい反面、落ち着きがないことを教諭は知っており、またよく話
    しかけたり、ふざけたりすることもあったので、教諭はその生徒に対して、ある種の気安さと
    親近感を持っていた。 憤慨・立腹し、私憤に駆られて単なる個人的感情から暴行するとは
    考えられない。

      判決理由
     有形力の行使は教育上の懲戒の手段としては適切でない場合が多く、必要最小限度に
    とどめることが望ましい。 しかしながら、教師が生徒を励ましたり、注意したりする時には
    肩や背中を軽く叩く程度の方法は相互の親近感や一体感を醸成させる効果があると同様
    に、生徒の好ましからざる行状についてたしなめたり、警告したり、叱責したりする時に、
    やや強度の外的刺激(有形力の行使)を生徒の身体に与えることが、注意事項の重大さ
    を生徒に強く意識させるとともに、教師の毅然たる姿勢・考え方や教育的熱意を感得させ
    ることになって、教育上肝要な注意喚起行為や覚醒行為として機能し、効果があることも
    明かである。

     教師として懲戒を加えるにあたっては、生徒の心身の発達に応ずるなど、相当性の限度
    を越えないように教育上必要な配慮をしなければならないことは当然である。

    生徒の今後の自覚を促すことに主眼があったとものとみられ、また平手と軽く握った右手
    の拳で頭部を数回軽く叩く程度のものにすぎない。 これを生徒の年齢、健康状態や言動
    などと併せ考察すると、懲戒権の範囲を逸脱して体罰といえる程度には達していない。

     他にもっと適切な方法がなかったかについては、必ずしも疑問の余地がないではないが、
    本来、どのような方法・形態の懲戒を選ぶかは、平素から生徒に接してその性格、行状、
    長所・短所等を知り観察している教師に任せるのが相当であり、その決定したところが社会
    通念上著しく妥当を欠くと認められる場合を除いては、教師の自由裁量権によって決すべき

    事項である。    刑法208条の暴行罪は成立しない。   無罪

  【参考】 杉田著『学校教育と体罰』学苑社刊 昭和58年 48ページにも同趣旨の記述がある
       また前述『通知』にある昭和60年2月22日浦和地裁判決も大宮市のある中学校の事件
       であるが、これについては判例時報 1160号、p.134
を見てください。

U 「やむをえない力の行使」について
  1
 前述の文科省『通知』は次ぎのように述べている。

    (6) なお、児童生徒から教員等に対する暴力行為に対して、教員等が防衛のためにやむを得ず
     した有形力の行使は、もとより教育上の措置たる懲戒行為として行われたものではなく、これ
     により身体への侵害又は肉体的苦痛を与えた場合は体罰には該当しない。また、他の児童生
     徒に被害を及ぼすような暴力行為に対して、これを制止したり、目前の危険を回避するために
     やむを得ずした有形力の行使についても、同様に体罰に当たらない。これらの行為については、
     正当防衛、正当行為等として刑事上又は民事上の責めを免れうる。
     また、児童生徒が学習を怠り、喧騒その他の行為により他の児童生徒の学習を妨げるような場
     合には、他の児童生徒の学習上の妨害を排除し教室内の秩序を維持するため、必要な間、やむ
     を得ず教室外に退去させることは懲戒に当たらず、教育上必要な措置として差し支えない。

  2 杉田の論述
     25編 体罰問題そのニ 「理由のある力の行使」は体罰ではない」で次ぎのように記してある。
      ー 騒ぎをしずめたり、暴力行為を排除するなどのために、学校の教職員が、力を行使するこ
       とは、体罰ではない ー

      わが国では、学校教育法で禁じられている体罰と生徒の暴力行為を排除したり、騒ぎを静めて
    クラスの秩序を回復・維持したりするなど、合理的な理由のある場合、教職員が[力を行使]する
    正当な行為とを混同して、その行為を違法視するきらいがあるが、そうではない。
    なお詳細はその第25編を見てください。


   【参考 1】 NHKは2000年1月 8日と9日、衛星放送BS-1で、『地球法廷 ・ 教育を問う』という番
         組を放送されたが、そのなかで杉田のこの意見も取り上げられた。

   【参考 2】 至文堂『現代のエスプリ 302号』 現代の教育に欠けるもの、1992年/9月号のなかで
          でも同趣旨の杉田の論考
がある。

   【参考 3】 最近の明治図書『学校マネジメント』平成19年4月号 61ベージにも杉田の同趣旨

          記述がある。 またこの7月号にも『懲戒・体罰』として掲載される予定である

おわりに
    ご覧のとおり杉田の論述は、今回の文科省『通知』の補足説明としても、またそのうち『東京高裁
   判決』や「やむをえない力の行使」についての理解を深めることにも役立とう。

 2007年5月21日記              無断転載禁止


最近の事例

    ご承知のように今年(2009年)4月28日、最高裁による逆転判決があった。 各紙報道から要約すると、
   2002年11月に先生が悪い児童の胸倉を掴んで叱った事で児童がPTSD(心的外傷後ストレス障害)に
   なったとして親が訴訟を起こした。  この問題児は廊下で女生徒を蹴っていた。それを目撃した教諭
   (講師)が注意すると、背後から教諭の尻を蹴ったので、教諭は「もうすんなよ」と胸元を掴み壁に押し付
   けて叱ったとされる事件である。 これに対して、

    一審・熊本地裁     体罰とPTSDとの因果関係を認めて65万円の支払いを命じた。
    ●控訴審・福岡高裁  体罰はあったが、PTSDとの因果関係は認めず21万円の支払いを命じた。
    ●最高裁       「許される教育的指導の範囲を逸脱するものではなく体罰にはあたらない」

    わが国では今後さらに体罰と[合理的な理由のある力の行使]について、法制的にも明確にするなど
    して、教育を萎縮させないことが必要である。