251 わが国の体罰関係判例・通知


杉田荘治


はじめに
    わが国における体罰に関する最高裁判決は、最高裁第3小法廷 平成21年4月28日
   判決だけである。 正式には損害賠償請求事件 平20(愛) 781号である。 しかしこれ
   ではわかり難いので、天草市小学生事件と名づけておこう。その他についても同様で
   ある。
    まずこれについて述べ、その後、東京高裁 昭和56年4月1日判決の女子教諭体罰
   (懲戒)事件、浦和地裁 昭和60年2月22日判決 大宮市中学生に対する事例などを述
   べ、
次いで
初等中等教育局長通知 平成19年2月5日 『問題行動を起こす児童生徒
   に対する指導について』
の関係箇所とそのコメントを述べる。

       天草市小学生事件  最高裁第3小法廷  
                   平成21年4月28日判決 
 
                             最高裁判所判例集 63巻4号 904頁
                             判例時報 2045号 118頁 

    判例時報 2045号では[公立学校の教員が女子数人を蹴るなどの悪ふざけをした
   2年生男子を追いかけて大声で叱った行為は国家賠償法上違法とはいえないとされた
   事例]として目次にも説明文にも載せている。 


   概要
    
     平成14年11月、天草市(旧本渡市)の公立小学校で男子臨時講師がコンピ−ター
    をしたいとだだをこねる3年生男子をなだめていた。 そこへ通りかかった男子2年生
    がその講師の背中におおいかふさるようにして肩をもんだ。 離れれようにいっても
    やめなかったので右手で振りほどいた。   そこへ6年生の女子数人が通りかかった
    ところ、その生徒は他の同級生とともに、じゃれつくように女子生徒らを蹴りはじめた。
    そこで、その講師はこれを制止し注意した。

     その後、その教員が職員室へ行こうとしていたところ、その児童が後から彼のでん
    部を二回蹴って逃げ出した。 そこで追いかけていって児童の胸元の洋服をつかんで
    壁に押し当て大声で[もう、するなよ。]と叱った。  数秒。

     当日夜、児童は自宅で大声で泣き始め、母親に[眼鏡の先生から暴力された。]といっ
    た。その後、夜中に泣き叫び食欲が低下し、通学にも支障を生ずるようになり通院して
    治療を受けるようになったが徐々に回復して問題なく過ごすようになった。
     その間、母親は長期にわたって小学校の関係者に極めて厳しい抗議行動を続けた。

     −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     熊本地裁は
     2007年(平成19年)6月、体罰とPTSDとの因果関係を認めて天草市に対して65万円の
    損害賠償を命じた。
     福岡高裁は
    2008年(平成20年)2月、体罰はあったが、PTSD(心的外傷後ストレス障害)との因果関
    係は認めず21万円余の損害賠償を命じた。
      その理由は胸元をつかむ行為は不当な行為であり、手でつかむなどの方法も可能
     であったはずであること、生徒との身長さや二人にはそれまで面識がなかったこと
     などから児童の恐怖心は相当なものであった。 これらの行為は社会通念に照らし
     教育的範囲を逸脱するもので体罰に相当し違法である、とした。

    最高裁の判断
      前述の事実を述べながら悪ふざけの罰として児童に肉体的苦痛を与えるために
     行われたものではない。 本件の行為はやや妥当性を欠くところがなかったとはいえ
     ないが、その目的、態様, 継続時間などから判断して、教育的指導の範囲を逸脱す
     るものではなく、体罰には該当しない。   5人の裁判官全員一致の意見。

   コメント
     妥当な判決であると考える。
 判決文のなかで今橋盛勝氏などの教育学者の学説に
    ついては触れているが、むしろ東京高裁(昭和56年4月1日判決)、 その後の浦和地裁
    (昭和60年2月22日判決)理由を引用採用している。従ってこれらについては後述する。
     
          女子教諭体罰(懲戒)事件
                       東京高裁 第3刑事部 昭和56年4月1日判決

    ここでも 刑事裁判月報 昭和56年度 13巻4号は[中学校の教師が平手と軽く握った
   こぶしで生徒の頭を数回殴打した行為について、、、正当な懲戒権の行使にあたり違法
   性]がないとされた事例]としている。


   概要
    ○ 昭和51年5月12日、水戸のある中学校の体育館で全校生徒に体力診断テストを実
    施するため、約400名と十数名の教師が集まっていた。 ところがその時、2年生の
    その生徒が「何だ、Kと一緒か。」とその教諭の名をいい、友達にずっこけの動作をし
    てふざけてみせた。
  ○ そこで教諭は前述のように叩いたのであるが、他の生徒たちの証言によれば、こづ
    く、という状態であったし、大多数の者もこれに気付かず、特別周囲の注意をひくほど
    ではなかったし、生徒自身もとくに反抗したり反発したりせず、おとなしく叱られていた。
  ○ 生徒の身体に傷害や後遺症を残すような証跡は全く存在しない。
  ○ その8日後、不幸にも生徒は死亡したが、当時生徒は風疹にかかっており、また生徒
    はバレーボール部員でもあったことなどから考えると、その死亡との因果関係を示す
    証拠は全くない。
  ○ 生徒は性格が陽気で人なつこい反面、落ち着きがないことを教諭は知っており、また
    よく話しかけたり、ふざけたりすることもあったので、教諭はその生徒に対して、ある種
    の気安さと親近感を持っていた。 憤慨・立腹し、私憤に駆られて単なる個人的感情か
    ら暴行するとは考えられない。

   判決理由
    有形力の行使は教育上の懲戒の手段としては適切でない場合が多く、必要最小限
   度にとどめることが望ましい。 しかしながら、教師が生徒を励ましたり、注意したりす
   る時には肩や背中を軽く叩く程度の方法は相互の親近感や一体感を醸成させる効果
   があると同様に、生徒の好ましからざる行状についてたしなめたり、警告したり、叱責
   したりする時に、やや強度の外的刺激(有形力の行使)を生徒の身体に与えることが、
   注意事項の重大さを生徒に強く意識させるとともに、教師の毅然たる姿勢・考え方や
   教育的熱意を感得させることになって、教育上肝要な注意喚起行為や覚醒行為として
   機能し、効果があることも明かである。

    教師として懲戒を加えるにあたっては、生徒の心身の発達に応ずるなど、相当性の
   限度を越えないように教育上必要な配慮をしなければならないことは当然である。

    生徒の今後の自覚を促すことに主眼があったとものとみられ、また平手と軽く握った
   右手の拳で頭部を数回軽く叩く程度のものにすぎない。 これを生徒の年齢、健康状
   態や言動などと併せ考察すると、懲戒権の範囲を逸脱して体罰といえる程度には達し
   ていない。

    他にもっと適切な方法がなかったかについては、必ずしも疑問の余地がないではな
   いが、本来、どのような方法・形態の懲戒を選ぶかは、平素から生徒に接してその性
   格、行状、長所・短所等を知り観察している教師に任せるのが相当であり、その決定
   したところが社会通念上著しく妥当を欠くと認められる場合を除いては、教師の自由裁
   量権によって決すべき
である。    刑法208条の暴行罪は成立しない。   無罪

   参考  一審は昭和52年5月24日、水戸簡裁で罰金5万円の略式命令が出されたが、
       その後、正式裁判に持ちこまれ、水戸簡裁は罰金3万円を命じていた。(学校
       事故等判例集 第3巻 941頁)

  コメント
    妥当な判決であると考える。

  

       大宮市中学生に対する事例  
    浦和地裁 昭和60年2月22日判決

                                       判例時報 1160号 135頁

    これについても判例時報 1160号では[担任教諭が授業中に離席した生徒(2年生)
   注意するために出席簿で頭部を叩いた行為は教諭の懲戒権の許容範囲の適法行為
   とされた事例]と目次にも説明文にも載せている。


   概要
    
     生徒は、つっぱりク゛ループの副番長。 教諭と口論になり、その生徒は出席簿で音
    の出るほど強く叩かれたといっている。 また[俺のほかにも席を離れる者がいるがど
    うするのか]といわれ、教諭はそれら五人の生徒対しても一回ずつ叩いた。
    学校は平素[チャイムとともに着席しよう]とのスローガンを掲げていたり、保護者会終
    了後、関係生徒の保護者を人目につきにくい校内の美術室を集まってもらい、生徒指
    導主任から彼らのこれまでの活動について話してもらったりしたこともあった。 これら
    のことから保護者の多くは学校側の措置について感謝していた。

     これに対して地裁は上述のように、口頭による注意に匹敵する行為であり、教師の
    懲戒権の許容限度内の適法行為とした。

   コメント  妥当な判決であると考える。

 初等中等教育局長通知    平成19年2月5日

    『問題行動を起こす児童生徒に対する指導について』

    関係箇所要約とコメント

(2)  教員等は、児童生徒への指導に当たり、いかなる場合においても、身体に対する侵害
(殴る、蹴る等)、肉体的苦痛を与える懲戒(正座・直立等特定の姿勢を長時間保持させ
る等)である体罰を行ってはならない。体罰による指導により正常な倫理観を養うことはで
きず、むしろ児童生徒に力による解決への志向を助長させ、いじめや暴力行為などの土
壌を生む恐れがあるからである。  

  コメント 
    『体罰による指導により正常な倫理観を養うことはできず、むしろ児童生徒に力による解
    決への志向を助長させ、いじめや暴力行為などの土壌を生む恐れがあるからである。』  
    この項は削除されたほうがよいように思われる。 その主旨を理解されず、むしろモンス
    ターペアレンスに利用される虞が十分にある。  また次の(3)以下の記述で足りる。

(3  懲戒権の限界及び体罰の禁止については、これまで「児童懲戒権の限界について」(昭和
23年12月22日付け法務庁法務調査意見長官回答)等が過去に示されているが、文部科学
省としては、懲戒及び体罰に関する裁判例の動向等も踏まえ、今般、「学校教育法第11条に
規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方」(別紙)を取りまとめた。懲戒・体罰に関す
る解釈・運用については、今後、この「考え方」によることとする。


    学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方
 

(3  体罰に当たるか否かは、単に、懲戒を受けた児童生徒や保護者の主観的な言動により判
 断されるのではなく、上記(1)の諸条件を客観的に考慮して判断されるべきであり、特に児
 童生徒一人一人の状況に配慮を尽くした行為であったかどうか等の観点が重要である。  

   コメント [配慮を尽くした行為であったかどうか]などの表現はいわゆるモンスターペアレン
        スに利用される虞が十分にある。

(4  児童生徒に対する有形力(目に見える物理的な力)の行使により行われた懲戒は、その一切
 が体罰として許されないというものではなく、裁判例においても、「いやしくも有形力の行使と見
 られる外形をもった行為は学校教育法上の懲戒行為としては一切許容されないとすることは、
 本来学校教育法の予想するところではない」としたもの(昭和56年4月1日東京高裁判決)、「生
 徒の心身の発達に応じて慎重な教育上の配慮のもとに行うべきであり、このような配慮のもと
 に行われる限りにおいては、状況に応じ一定の限度内で懲戒のための有形力の行使が許容
 される」としたもの(昭和60年2月22日浦和地裁判決)などがある。 

   コメント そのとおりである。

(5  有形力の行使以外の方法により行われた懲戒については、例えば、以下のような行為は、児
 童生徒に肉体的苦痛を与えるものでない限り、通常体罰には当たらない。  
 
 放課後等に教室に残留させる(用便のためにも室外に出ることを許さない、又は食事時間を
 過ぎても長く留め置く等肉体的苦痛を与えるものは体罰に当たる)。
 授業中、教室内に起立させる。
 学習課題や清掃活動を課す。
 学校当番を多く割り当てる。
 立ち歩きの多い児童生徒を叱って席につかせる。 

   コメント  [肉体的苦痛を与えるものでない限り]とは誤解を生みやすい。
          また[立ち歩きの多い児童生徒を叱って席につかせる。]は当然のことで、叱っても
         なお席につかない生徒などをどうすかが問題なのである。 説明が不十分である。

6)  なお、児童生徒から教員等に対する暴力行為に対して、教員等が防衛のためにやむを得ずし
 た有形力の行使は、もとより教育上の措置たる懲戒行為として行われたものではなく、これに
 より身体への侵害又は肉体的苦痛を与えた場合は体罰には該当しない。また、他の児童生徒
 に被害を及ぼすような暴力行為に対して、これを制止したり、目前の危険を回避するためにや
 むを得ずした有形力の行使についても、同様に体罰に当たらない。これらの行為については、
 正当防衛、正当行為等として刑事上又は民事上の責めを免れうる。

   コメント  当然のこと。アメリカの合理的な理由のある力の行使を参考にされたと考えられる。
         むしろ教員等の果たすべき義務とされたほうがよいほどである。

 コメント
    各項目でコメントしたように少し及び腰のように思われる。 一生懸命に指導している教員
   を苦しめる虞もあろう。 遅刻を繰り返す生徒、何回注意しても怠ける生徒などに対して[その
   授業に代わる指導が別途に行われる]などとしている。 学習権保障はよいとしても、教員は
   授業は進めなければならない、どうせそんな生徒はしゃべったりして他の生徒の邪魔をしてい
   ることが多かろう。関わりあっている余裕はない。
    
    廊下に立たせるくらいの指導が必要であろう。その生徒や、クラスも緊張するであろう。
   アメリカでは小学生に対しても停学はある。 わが国にはないことを理由にして学習権の
   保障だけでは不十分であろう。 第一他の生徒の学習権の保障はどうなるのか、である。


    戦前でも小学校教育は義務制であった。 しかし時には廊下に立たされた。 家に帰ってそ
   のことをいうことはまずできなかった。言えば叱られるのが普通であった。 戦前の教育は悪
   だだけではすまされまい。 クラス環境が悪くなる、モンスターペアレンスに手を焼くと嘆く前に
   教育行政、学校、クラス担任、校長、地域などが時には生徒、わが子などが廊下に立たせる
   くらいの指導が必要であると覚悟することが問われていよう。

2011年(平成23) 9月15日記          無断転載禁止