274 杉田の国際交流(回顧とコメント)


 杉田荘治

  はじめに
   今までに主として米国へ単身で出掛け教育研究所や研究大会に参加したことを回顧し、
  それぞれにコメントを付記したい。


  1 全米学校安全センター訪問
  National School Safety Center: NSSCであるが全米青少年問題研究所といってもよかろう。 
  California州のサクラメントに在る。1985年4月のある日、勤務校である愛知県立松蔭高校
   にNSSCから 『合法的社会の学校安全』という小冊子が送られてきた。
当時、私は全米
   教育法学会NOLPEの会員であった。 この夏休みを利用して訪問することにし、県教委の承認も得
   て単身、出掛けたのである。
     
NSSC学校管理研究会の傍聴
   
 研究会は机上の抽象論のやり取りではなく、具体的なもので、しかも役割分担し
    て実演し批評しあい総合するといった展開であった。しかも午後10時過ぎまで続
    けられた。
途中で感想を求められたので、広く生徒の非行防止策として、マスコミを含め
   一般国民の協力や理解を得ることは重要であるが、基本的には生徒と先生との時間的接触
   を多くすることが大切であり、その点、わが国の部活動や多彩な学校行事は長所であると説
   明した。 
    そして例えば今、私は夏休みを利用してここに来ているが、わが校では夏休みといえども
   相当数の生徒や教員が自由意志で補充授業、補修授業などの学習や諸活動を校舎やグラ
   ウンドで展開してにぎやかである。 今私がここにいるのも少し心苦しい気持ちになると話し
   た。
 
コメント それにつけても当時、英語にも不自由しながら一人で、設立間もないNSSCへ出かけ、
      懇談のさいには、わが国の長所も述べながら対応したことを懐かしく思っている。

 2 アメリカのチャーター・スクール訪問

   平成13年(2001) 5月末、アメリカのサクラメント市近郊のYuba郡にあるチャーター・スクールを
  数校、訪問し、またそこ開かれたEDUCATION: 2001 SUMMITにも参加した。

  訪問したCalifornia州のYuba郡は、Sacramento市の北約 80kmにある数万の人口と、五つ
  の地区教委と14.000人の生徒をもつ郡(County)である。 しかし、広さは、わが国の小さな県
  の半分ほどもあり、従って地区教委や学校は散在している。
   
郡の教育長であるRichard Teagardenさんは、直接Yuba郡全体の住民から選挙によって選
  ばれている点が、わが国の場合とは異なる。現在2期目。 2期目のさいは対立候補なし。  

    Marysville 芸術・技術チャーター・スクール: Marysville Joint Unified School
                        District; Charter Academy for the Arts
   Yuba郡職業予備訓練チャーター・スクール: Yuba County Career Preparatory
                           Charter School

   建設チャーター・スクール: Charter Construction Academy
   Yuba川チャーター・スクール: Yuba River Charter School  Nevada City School of the Arts

    
 2001年 教育サミット(Yuba郡) への参加

2001年 5月25日、Yuba郡One-Stepセンターで、Teagarden教育長が主宰して郡の教
育サミットが開かれ杉田も出席した。

杉田のスピーチと質疑・応答
  わが国の初等中等教育は全体としては優れていると思う。しかし、今後、もっと才
 能をもつ生徒を伸ばす必要があるし、一方、13万人も登校拒否児がいるといわれる
 ことからわかるように、苦しんでいる生徒への対策も必要である。
 今回、貴地のチャーター・スクールを訪問・視察したのも、そのためのヒントを得たいた
 めであったが、それなりのものを得たことを喜んでいる。

郡教育長のTeagardenさんは、地元Maryville高校の卒業生で、地元ロータリ・クラブの
責任者、州の地区担当コーディネイタや北中央部の国際借款団、学校と企業との連携
リーダーなどとしても活躍されている。 ロータリ・クラブの朝の会合( 7:00-8:00)にも同
席したが、どこでも"Ric,Ric,.."と親しまれ、また郡の連合運動会ても閉会式で、各勝者
にトロフィを手渡すとともに、最後までテントの撤収や机の後片付けを職員と一緒になっ
てやっておられた。
コメント 
今回、今まで一度も会ったことのない杉田を、その志のようなものを評価して、
     4晩も自宅に泊め、また自らチャーター・スクールなどへ案内していただき、多くの
     示唆を受けたことを心から感謝している。  
 

3 2002年次NEA研究大会に参加

  NEA( 全米教育協会)の2002年次の研究大会(Joint Conference) は、6月27日、28日
   の二日間、テキサス州Dallas 市で開かれた。NEAの上席政策分析官のRichard Vudugo
   さんの好意によって、これに参加することができたが、高校教頭のWさんも同行された。 
   会場はAdam's Mark Hotel, Dallas, 参加者は約1.500名


  研究大会のテーマ‐   マイノリティと女性: Minorities and Women
  これからの教育の傾向 : Future Trend in Education
  社会的弱者保護政策・差別撤廃措置と公立教育との関係: Exploring the Value of
                             Affirmative Action to Public Education
  テストと評価 : Testing and Assessment
  校長と教員との関係不足 : Teachers and Principals Shortage: Mutual Challenges,
                  Opportunities, and Strategies
コメント
   NEAの代表者会議の前に開かれた研究大会であったためでもあろうが、教員組合に
  有り勝ちな絶叫、終始批判タイプの会ではなく、難しいテーマーについても冷静に時には
  ユーモアも交えながら進行されたことが印象的であった。 勿論、問題提起者の一方的
  な話しではなく、出席者の討論にウエイトが置かれた方法も参考になった。
   なお、ダラスへの訪問は始めてであったので、半日足らずの市内観光もし、ケネディ記
   念碑へも訪れたが、その市街や周辺にはも全く起伏がなく一面の“大陸的なアメリカ”を
   見る思いがした。

 
4 全米教育法学会に参加

   
1989年11月、サンフランシスコで開かれた全米教育法学会(NOLPE)の研究大会に参
  加した。当時、私は日本教育法学会の会員であったが、アメリカの教育法学者に勧めら
  れて、その会員にもなっていた。 その第35回研究大会のテーマーのひとつに[日本とア
  メリカの教育法比較]があった。当時、私はある私立高校の校長でもあったので学園本部
  の承認を得て参加した。


   今回の研究大会に参加の目的のひとつは、この分科会に期待するところであったが、
  やや物足らなかった。 というのは、これはシカゴ大学のメッカ教授と上越教育大学の
  T教授との共同発表であったが、ほとんどメッカ教授がスピーチし、質問に対しても同教
  授が答え、時々確認のために座っているT教授に[それでよいか]と聞いている程度で
  あった。

   私は、それは正しく日本の実情を伝えていないと考えたので、質疑・応答の時間に入って
  から公立学校教員、校長としての経験や教委勤務、また今の私立学校校長として実情な
  どから多少の例も述べながらやや反論した。
  果たせるかな休憩時間になると数名の人
  たちが私の周りに集まってきていろいろと質問した。

   
他のいくつかの分科会にも出てみたが、二名の発表者による共同発表が多かった。もち
  ろんスピーチは二人並んで、それぞれ行うのであるが、質問の時間になると質問によって
  は[ジョン、君]、こんどは[ベン、君]とお互いにファーストネームで呼び合って答えていたの
  が面白く参考になった。

      学校事故対策分科会
   
オースチィン学校事故対策専門弁護士がゼスチァたっぷりに体育時の事故を事例も示し
  ながら説明したが、時々フロアから爆笑が起こったりして、深刻な内容の割りには愉快な
  分科会であった。


      No Pass, No Play 『学習成績不良生徒のクラブ活動禁止』分科会
   
No Pass, No Play といわれるこの禁止規程が果たしてどの程度、全米的な動きになっ
   ているのか、よくわからなかったが参考になった。 たしかに学習成績不良の生徒に対し
   て、夏休み期間などを除いて校内外のクラブ活動を禁止する動きが少しづつ広まってき
   ていることを感じた。

    
昼食後、最後の行事としてカリフォルニア州サクラメント市にある全米学校安全セン
   ターの所長、スティブン博士の講演があった。 このセンターは荒れ狂う少年非行や
   校内暴力対策として1982年に開設された比較的新しい連邦の機関であるが、私は
   たまたま1985年に訪れたところであった。

   コメント このように全米教育法学会に単身参加して、アメリカの教育法の一端を知ること
       ができ参考になったが、またわが国教育の実情を説明することも出来たことを喜ん
       でいる。日本からの現職高校長の参加は歓迎された。 11月という特に多忙な学
       期中、参加を承認してくれた学園本部にも感謝している。



   州知事やチャータースクールオーナーなどへの質問
  と回答

 1 無能教員についてアメリカ各州知事からの回答
   
思い切って無作為でアメリカ( U.S.A.)の25州の州知事に E-mail で次のような質問を送った。
  (2000年) 10月 中旬
    1 あなたの州で [無能教員についての基準]を設けておられますか ?
    2 教員を他の職に転職させた例がありますか ?
    3 その他、参考事項


    勿論、教員の解雇は州の権限に属するものではなく、各地方教委によってなされるもの
   であり、事実そのような回答が多かった。 しかし、なかには [ より良い教育を州の生徒た
   ちに施すことは州知事の使命]であるとの観点から、州知事自身が努力している施策や、
   また参考条文・条項などを紹介していただいたりした。  回答は直接、州知事からきたも
   の、[ 知事の命を受けて ]として寄せられたもの、またE-mailでの回答の他に自宅へ郵
   送されてきたものもあった。 大統領選の渦中の人、George Bush Texas州知事の手紙も
   含まれる。
   
  
コメント
     わが国で、このような質問をした場合、果たして知事や教育長にまで届くであろうか。 ま
    してや回答を得ることなどは極めて稀であろう。彼我の差を思い知らされるとともに、その
    サービス精神について学ぶべきものが多いように思われる。

  それぞれの回答の要点は第35編をみてくた゛さい。


  2. アメリカの教育改革法案について州知事からの回答  

    (2001) 9月の始めに、幾人かの州知事宛てに下記のような『質問』を送ったが、その直後
   の11日に、『同時多発テロ』が起こり、アメリカは戦争状態にあった。

   その混乱や『質問』それ自体が微妙な問題を含んでいるので、寄せられた回答は多くはな
   かったが、それでも今日(11月10日)までに3通、あった。 
以下その要旨を述べるが、この
   困難な時期、また困難な問題について回答していただいたことを深く感謝して
いる


    
質問 1 法案では[成績の挙がらない学校]から転校したいと希望する生徒は転校できるとし、
         また転校費用を州が負担することができる、となっていますが、あなたの州ではどう
         ですか。

    質問 2 その後3年間、悪い成績が続いた学校の生徒は、家庭教師のような(like private
         tutoring)サービスを受けるように州の資金を受けることができる、とされますが、
         あなたの州ではどうですか。

    質問 3 政府補助金の使用について、かなりの裁量を認める制度(Block-grant system)、
         すなわち、連邦からの補助金を州が[成績を挙げる]ことを確約・保証するならば、
         かなり自由に使用することができるとされますが、あなたの州ではどうされますか。

    質問 4 [毎年、順調に成績が挙がっている]と評価するための具体的な方法は整えられて
          いますか。


     それぞれの回答の要点は第45-2編をみてください。

  その他
    1 ポーツマス条約

      [ ポーツマス条約]と聞いても、若い世代の人たちは、ほとんど関心をしめさないが、年配
    の人たちの多くは、ある種の感慨を覚えるであろう。


      私はポーツマス市内を半日であるが旅行したことがある。 それは近くにあるNew England
    大学のJean-Lous Nickmair助教授が来日されたとき、名古屋市内を案内したことがあったが、
    その返礼の意味もあってか、氏の好意で1993年8月に二晩、自宅に泊めていただき、同大学を
    参観するとともに半日旅行として近くにあるポーツマス市内の観光もできたからである。 その
    さい、私はポーツマス条約に関する建物がないかと尋ねたが見つからなかった。

そこで、市のMail Comments を利用して、「確かに貴地で、1905年、貴国大統領が斡旋して
 日露の講和条約が結ばれた筈である」旨を書いて尋ねたところ、次のような
返事がきた
    
エキスパートの返信 
  ポーツマス条約に関連のある建物はありません。両国の討議と署名はポーツマス海軍造
 船所で行われ、その会議場は今も残っており、一つの部屋は講和関係のものです
。両国の
 代表団は New Castleにある ホテルWentworthに留まりました。 そのホテルは、ここ10年
 間、閉鎖されたままでありますが、改装し再開するとのプランも出ています。
  
   その後、Natalie Houdeさんというアメリカ人からら、次ぎのようなメールが来た
 「日本とロシアとの間に結ばれたポーツマス条約の第97回の記念日に当たる、9月5日(木)
 の署名の時刻である午後3時47分に合わせて、ポーツマス市と海軍造船所で一分間、ベル
 が鳴らされました。また同時に笛も吹かれ、多くの行動が停止しました」。  「Wentworth ホ
 テルは、ひどい状態になっていますが、あるグループが寄付金を募ってこれを修復し、歴史
 的な場所を維持しようとしています」、「あまり多くの人たちではないにせよ、アメリカはこの
 条約に敬意を払い、今後も記憶し続けていくでしょう」

  さらにその数日後、[そのベルを鳴らすことは今年に限ったことではなく、毎年の行事で
  す。2005年の100周年は盛大に祝われることになるでしょう」と返信が来た。

  このように、今やわが国ではほとんど関心をもたれないポーツマス条約について、彼ら関
  係者が善意の行動を続けられていることに感謝し、併せてこのことを知らせてくれたHoude
  さんに心からお礼をいいたい。 


2 アメリカの教員組合NEAとAFTとの違い

アメリカの有識者からの回答

 1 連邦生徒指導問題研究所のR.S.博士から
   AFT, NEA ともに労働組合です( both labor unions )が、NEAが最大です。
  ここ数年、両者は合併(merging) しようとする論議がなされていますが、まだ実現してい
  ません。 しかし、いずれ将来、実現するでしょう。

 2 Indiana大学のM.M.博士から
   最初は両者は大変、違っていました。すなわちAFTは労働組合でしたが、NEAは職業的
  な協会として機能していました。 しかし両者は急速に接近して、今やNEAも組合と呼ば
  れています。 両者は団体交渉で、それぞれ教委管内で教員の代表として指名され、議
  題を交渉によって解決しています。 ここ数年、合併しようとする提案がなされているよう
  ですが、ある理由のために実現していません。


  Detroit市教委のL.L.博士から
   NEA はAFTと同じように高い賃金、勤務条件の改善などで団体交渉をやっています。
  ストライキもやりかねません。 NEAはAFTより、よりよくやろうとして自分たちを高揚させ
  ています。 ここ数年、両者は区別できないほどになってきています。
  私の推測によれば、AFTは大都会でNEAよりも行動的です。   一般的には、どちらか
  一方の組合に入っています。 NEAとAFTは、『9月11日の犠牲者』のために協力して、
  NEAFTという災害救済基金を設けました。このことは両者の関係を表していましょう。


 4 California州Y郡教育長のR.T.さんから
   アメリカのある州では組合加入は自由ですが、ある州では強制的です。
  組合費はサラリーによって違いますが、1年間に700ドルー500ドルです。
  AFT, NEA ともに全国的な組織で、州、地区をそれぞれ代表して、私のような雇用主と
  交渉します。  AFTは他の労働組合と同様に労働組合として発展し、現在もその目的を
  残しています。 NEAは職業的な組織として発足しましたが、今やAFTと同じような組合に
  変わってきています。
  AFTは今ではNEAより、ずっと小さくなり、国内における影響力は小さくなってきています。
  その他、私の意見としては、今では教職の専門性は低下し、学校や生徒に対する献身や
  意欲も低下しています。それでいて、サラリーもかなりよく、多くの権利をもつようになりまし
  た。 ある教委管内では多くの労働問題も起こっていますが、一方ではNEAと学校当局は
  子供たちをルーズにするような教育を心配し論議しています。


3 文部省派遣海外教育視察

    昭和50年10月8日〜11月6日  第17団28名 主なる視察国・都市はメキシコ
  のモンテレイ市とイギリスのノーザンプトン市であった。 その他、サンフランシ
  スコ、ニューヨーク、ロンドン、パリー、ウィーン、ベルリン、コペンハーゲンの各都
  市を巡った。 詳細は省略する。ただ、イギリスにおける7才
〜9才児のInfant
  Schoolは特に参考になったことを付記する。

4 メルボルンの姉妹校訪問
   平成3年、名鉄学園杜若高校長時代、理事長の許可を得てオーストラリア・メル
  ボルンにある二校と姉妹校提携した。 St.Bernasrd's College  St.John's College
  いずれも P-12 schools そのためその後、数年それらの学校を訪問した。実際に
  日本語の授業を実施したこともあるが詳細は省略する。

おわりに
   主として今まで各編で述べてきたものを標題によってまとめたものであるか゛多く
  の人にとっても参考になろうと思っている。



平成27年7月19日記