67. アメリカ・ジャーナリストの見た最近の日本の
  教育事情


 杉田荘治

はじめに
 アメリカのEducation Week紙の副編集長Kathleen Kennedy Manzoさんが、今年(2002)、2週間、
日本を訪問し、そのレポートを数回に亘って同紙に掲載している。 

内容的には、われわれにとって特に真新しいものはないが、しかしその着眼点や見方については
参考になると考えるので、それを紹介したい。 7月4日号、8月7日号、9月25日号から要約する。

 そのレポートでは学習塾に関する部分が多いので、まずそれについて述べ、『学校を訪問して』
その他に触れる。
T 学習塾が日本の子供たちの学力を後押ししている
 ここ東京近郊で、数多くの子供たちが青い背袋をきちんと背負いながら、その日の第二回目の
学習に向かっている。 彼らは店を改造したような建物の窓もない暑い部屋で、厳格なしつけのも
とで、理科、数学、国語、作文などの科目に取り組んでいる。 毎週3日間、夕方のそれぞれ3時
間の学習である。  そして土曜日には、その週のテストを受けなければならない。
                   日能研・塾 ( Nichinoken juku )
1 日能研は日本で最大の学習塾の一つであるが、全国で84ヶ所、37,000人の小学生を生徒とし
 てもっている。 このように子供たちの学習を補い入試に備える教育は、ここ40年あまり日本では
 余りにも普通のことになっている。 そこでの学習はトップ級の高校や大学を目指す生徒には特
 に力強い存在であるし、最近では私立中学校を目指す小学生にとっても必要なものとなってきた。

2 親の心配
 日能研の高木会長は「親は教育改革について心配しているので生徒増になった」、「学校での学
 習では不充分で、いつもこれを補ってくれるものを探しもとめている。 それを満たしてやらなけれ
 ばならない」と語っている。

  この春から小学校と中学校に実施され翌年には高校もそうなるが、日本の学習指導要領の改
 訂は生徒たちが自分たちで学ぶプロジェクトのために30%の余裕を与えるものとなった。「問題解
 決能力を高める」と教育担当官たちはいっているが、入試の方法は変らない。 そこで親たちは
 財布の紐を緩めて私的な教育サービスを受けさせようとするのである。

3 そのために学齢児童・生徒数の減少にも拘わらず、学習塾事業は栄えつづけていくことになる。
 すなわち、全国で5万以上あるといわれる学習塾は年間、約1,200万ドルもの収益を伸ばしてい
 るといわれている。日能研も今まで6% 生徒数が増えていたが、今年の4月には、その2倍以上の
 入学者があった。

4 日能研の卒業生の4分の一から2分の一は首都圏のトップ級の私立中学校へ入れるくらいの
 実力を身につけているといわれる。 現にその6年生コースを終えた生徒は既に中学校レベルに
 達しているか、またはそれ以上である。 

5 そこでは公立学校よりはずっと、生徒一人一人の関心にあうようにプログラムが組まれている。
 例えば、横浜にある一つのクラスでは28名の生徒が70分授業を受けている。
 国語の書き取りを2,000字以上の漢字を使って、言葉のオン、概念を含めて学んでいた。テキスト
 は日能研独自のもの。公立学校用のテキストよりはずっと難しい。 そして、それらの漢字も使い
 ながら文をつくるように求められる。
  また週末のテストで高い得点を得た生徒は座席の位置を前のほうへ進めることができる。教員も
 “日能研スタイル”といわれる独特な言葉や身振りで生徒の注意力を維持するような工夫をしてい
 た。

  生徒たちも、いきいきとして熱心に先生からの質問にも答え、授業を楽しんでいるようにみえた。
 親たちによって仕出しを頼まれた夕食をとった後、再び2時限の数学や他の教科のクラスに戻り、
 8:30 頃、家路に向こうのであった。 従って彼らは朝、学校での始業から12時間、経ってから帰宅
 することになり、こうしてこの塾で6年生を終えるまで三つのレベルのレッスンをこなすことになる。
   学習塾についての日本人の見方.... 愛憎の入り混じり( Love- Hate
                        Relationship )
 今まで見てきたように国民と教育関係者は、学習塾について複雑な見方をしている。
すなわち親や生徒にとってそれは必要な生活の一部になっているが、公立学校の教育では子供の
学力を十分に伸ばすことができず、入試にも不安があるからである。 そこでやむを得ず余分の銭
を払って私的レッスンを購入しているのである。低所得層の家庭ではより辛い選択になろう。

 文科省もはじめは公立学校教育の恐怖とみなしていた。なんとかしてその数を減らそうとしたり、
できけば廃止しようとしたが、最近になってその貢献度を認めるようになり、価値あるパートナーと
も考えるようになった。 しかしこれは、公立学校教育力の低下ともいえよう。

 勿論、学習塾経営者は喜んでいる。 しかし心ある経営者は、公立学校教育が余りにも悪く滑り
出すことを心配している。 「今は公立学校制度と学習塾のマーケットが巧くいっているが、しかし
我々は最大限になる能力をもっている。 もしそれ以上になれば、却って教育はそこなわれていく
であろう」と考えているからである。

【コメント】 公文教育会のことにも触れられていたが内容的には、ほぼ同じ。また公立学校教育と
       学習塾とのバランスについて、この項の最後に記載した塾経営者の懸念はそれを適
       確にとらえていると思われる。
U 学校を訪問して
 私たち訪問者は丁寧なお辞儀をもって迎えられる。 スリッパに履き替え、さらにマットか゜敷かれた
音楽教室やコンピューターの部屋に入るときは、そのスリッパーさえ脱ぐことになる。 生徒も同じで
ユニフォームを着て室内用のつっかけ靴を履いている。

 日本の小学校では教室内や校内で、自分達の感情を押さえるように指導されていないように思
われる。 例えば生徒たちはペアで手を組んだり、肩に腕をなげあったりして組んで廊下を歩いて
いるし、驚いたことには外来者・訪問者に抱きついて「私、あなたが好きよ」といったりする。

 このように大変リラックスして自信があり、幸せそうにみえる。 この兵庫県の山間にあるS小学校
では、先生たちは校長室へ入るのときはに深くお辞儀をし、しばらく立って待っているが、子供たち
は手に負えないような様子で、窓をパンパンと叩いたり、時には職員室などのドアを明けて、職員や
私たち訪問者にわめくようなエールを送ってくれる。 廊下はそうぞうしいし、国語の時間にも冗談
を言っていた。

 休憩時間ともなると、土の運動場でサッカーをやっている生徒もおれば、室内で折り紙を折ってい
る子もいて楽しそうだ。 だから、いじめがあるなんて殆ど想像することもできない。

 しかし最近、多くの学校では、一人の生徒をからかったり、時には暴力を振る、いじめのうねりを
経験しているとのことである。 この問題に対処するため品格教育(いわゆる道徳教育・character
education)を強化しようとしている。 例えば、この学校の4年生の授業では、「毒をもったウニは蟹
を守ってやっているが、蟹はウニに餌をを取り易くしやって、お互いに助け合っている」ことを学ん
でいた。

小学校のランチタイム

 献立は厳格で滋養もよく考えられたガイドラインによって作られ、金属カートで即座に配られる。
それを幾人かの生徒たちが、外科用マスクをつけ頭にはスカーフをして準備し、それぞれに配る。 
アメリカとことなり丁寧な献立で、軽くまぶされフライされたいわし、家庭でつくられるようなポテトサ
ラダ、チッケン、野菜スープと米飯が給食である。 クラスメートどおしの楽しいおしゃべり、はじける
ような笑い、言葉は違っても同じだ。

【コメント】 確かに外来者に対する親密な振る舞いは意外かもしれない。愛すべき稚気ともいえるし、
      無警戒で粗野な行為ともいえよう。国民性であろう。
V 学校週5日制
 日本では伝統的に土曜日は出校日であったが、今やそうではない。 総合教育改革の一つとして
文科省は週6日出校日制度を次第に変更してきたが、今年の始めから土曜日は登校する必要がな
くなった。この変更は生徒たちには好評である。 「僕は土曜日も野球をする」、「僕は寝る時間をお
そくする」、水泳、音楽レッスンなどである。

 しかし教員たちは「少なくとも年間、70授業時間が減って、すべての教科内容をカバーできない」こ
とを心配しているし、親たちもその多くは週6日働いていたり、パートタイムとして従事したりしている
ので「子供が一人で怠ける時間が多くなりはしないか」などと懸念している。
また、週末に余りにもグループ活動をやりすぎるために、月曜日の朝は眠くなり授業に集中できない
生徒も多いとある教育関係者はいっていた。

【コメント】 この見方はほぼ当たっているように思われる。それは例えばヨミウリ・ジュニア・ブレス
      の世論調査によれば親子で賛否が分かれている。 土曜休日には小学生は59%が賛成、
      しかし親は45%、中学生は70%が賛成、しかし親は40%、 高校生は64%が賛成、親は38%
      である。 なお、ご覧のとおり彼女のレポートは私学については触れられていない。
W 総合学習 Sogo gakushu : Integrated-study
 教育改革の一つとして、暗記やテストよりは生徒が学ぶ意欲を培おうとして総合学習の時間を新設
した。すなわち生徒が興味のあるトピックスを調査し、先生は告げる人からガイドとしての役割を果
たす人、生徒と一緒に調査する人に変った。 しかもそれらを核となる教科と結びつけようとしている。
しかし現実は、かなり戸惑っているように思われる。

 アメリカは“基礎に帰れ:"back- to-basic”と努力しているが、日本はその反対のように思われる。
太平洋で反対方向に交叉するようである。

【コメント】 ご覧のとおり余り深くは観察していないが、無理からぬことであろう。 わが国の学校現
       場そのものに戸惑いがみられるからである。 小学校から英語の時間に、職場訪問に、
       地域の人や専門家に接する時間になどとする一方、算数の計算にチァレンジさせるほう
       が結局、自ら学び、考え、判断できる力を培うことになるとの考え方やそのような授業も
       あるからである。
X その他教員など
新任教員は従来からの教育を受けてきたので新しい教育にはついていけず、取り残されているように
思われた。 また30年の教職経験のある40人クラスの担任にも同じような当惑がみられた。 しかし、
彼らは一様に、なんとか教育改革を理解し、その趣旨を活かそうと努力していることもよくわかった。
彼らはやるであろう。

“北風が太陽に降参する”はイソップ物語にある。北風が厳しく強く吹けば吹くほど、旅人はマントで
しっかり身を包んだが、太陽がギラギラと照りつけると、一枚一枚と脱いでいって遂に太陽の勝ちと
なった。 このように果たして日本の教育改革は勝利することができるだろうか。
【コメント】 ご覧のとおり。公立学校の変化、学習塾の補完の程度とその両者のバランス、また教員の
        熱意と工夫など、良く観察していると考える。そして今後、日本の教育の推移を見守りたいと
        する態度も理解することができる。
 2002. 10. 23 記               無断転載禁止