ある日、岩波文庫の「日本童謡集」をペラペラめくっていたらこの2つの歌がともに
対して、「キューピー・ピーちゃん」の発表は約10年後の昭和5年、これまた児童
チャップ波 チャップ来て チャップ帰る
とやっているところなど押し寄せてきた波が船にぶつかり、また帰っていく情景が目に
さて「青い眼の人形」だがこの歌に描かれている人形も実はキューピーであることを
「友情の人形」は大正から昭和に入った頃アメリカで日本人移民排斥運動が高まったこと
「青い目の人形」を書いた野口雨情は回想文の中でアメリカ生まれのセルロイドで出来た
野口雨情の作詞であることに気がついた。どちらの作品も外国から船に乗ってやって来た
人形を題材にしている点で共通している。「青い眼の人形」は童謡・唱歌ファンならずとも
多くの人が知っている名歌だ。作曲は本居長世、発表は大正10年で児童雑誌「金の船」に
掲載された。青い眼をしたアメリカ生まれの人形が日本の港に着いたときの心細い心境を
切々と唄っている。
雑誌「コドモノクニ」に掲載された。作曲は中山晋平だ。「青い眼の人形」のような
哀切感は無く、キューピー人形のピーちゃんが海の向こうから船に乗ってやって来て、
また船に乗って帰っていくということを淡々とうたっている。この歌はあまり知られて
いないがなかなか面白い歌だ。筆者は昭和初期の童謡歌手・平井英子の復刻版CDでこの
歌を初めて聴いたのだが中山晋平の波に揺れるような旋律に乗せて
浮かぶような不思議に動きのある歌である。
知る人は少ないのではないか。というのは昭和2年(1927)アメリカから日本の子供たちに
贈られた「友情の人形」をテーマにした歌だと誤解している人が多いと思われるからであ
る。「青い眼の人形」が発表されたのが大正10年であることを見ても両者に何のつながり
もないのは明らかだがいつのまにか多くの人の心の中で「青い眼の人形」と「友情の人形」
が結びついてしまったようだ。
に胸を痛めた宣教師シドニー・ルイス・ギユーリック博士が実業家の渋沢栄一氏と協力して
日米親善の大使として約12,000体もの人形を日本全国の小学校や幼稚園に贈ったもの
である。この人形達は当然のことながら各地で熱烈なる歓迎をもって迎へられた。そして
その年のうちに今度は日本からアメリカへの返礼として振袖姿の人形50数体が贈られている。
なんと気の利いた民間交流であろうか。もしもこのままあの戦争さえ無かったならと考えて
しまうのは筆者ばかりではあるまい。
キューピーさんが子供達に人気があるのを見て、この歌の歌詞を思いついたと述べている。
さてここでキューピーについて調べてみた。キューピーの誕生は1909年(明治42)。
すでに100年近い歴史がある。作者はアメリカ人のローズ・オニール。そしてキューピー
という名称はギリシャ神話の神、キューピッドから採ったものだということだ。ディズニー
のミッキイ・マウスと並んで大変古くから日本の子供たちに親しまれて来たキューピーが
これからも変わることなく愛されていくことを願いたいものだ。
2000/11/16