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伝説の童謡歌手 伴久美子

伴久美子(ばんくみこ)は昭和17年生まれ。
数多くいる童謡歌手の中で伴久美子のような独特の雰囲気を持った歌手はおそらく もう現れないだろう。他の童謡歌手が子供らしさを出そうとするあまり どうしても声を張り上げて歌う感じになるのに対し、伴はささやくようなハスキーボイスでしかも息が抜けていくような不思議な発声でこれがじつに何度聞いても飽きがこない魅力を醸し出していた。

幼いころから「アマリリス児童合唱団」に所属していた。小学校2年生のときにNHKの「こどものど自慢」というラジオ番組で1位に入賞した。名作童謡「月の沙漠」の作曲者である佐々木すぐるがこのラジオ放送をたまたま聞いていて伴に強い関心を持った。これが縁となり伴久美子は佐々木すぐるが専属作曲家をしていたコロムビアから童謡歌手としてデビューすることになる。

作曲家グループ「ろばの会」を中心に昭和30年代に活躍した作曲家 中田喜直や作詞家サトウハチロウがこの伴の歌い方に惚れこんだ。特に ハチロウは「バンクミちゃん」とかわいがり多くの新作を歌わせた。 この「ろばの会」の活動はそれまでの童謡を「古い童心主義」と切捨て、新しい子供のための歌を作ることを掲げた。このような同会の主張は行き過ぎの面があったが彼らの創作した作品の中には現在「日本のうた」として広く親しまれているものも多くあり一定の成果を上げたというべきであろう。

そんな作品のひとつが昭和30年に発表された「ちいさい秋みつけた」だ。 「秋」をテーマにした唱歌や童謡には秀作が多いがこの「ちいさい秋 みつけた」も多くの人々に鮮烈な印象を与えた。 そしてNHKの「放送芸能祭・秋の祭典」でこの歌が発表されたときの歌手が 当時13歳の伴久美子だった。

今日「赤とんぼ」や「里の秋」とならんで代表的な秋の童謡として知られる この歌は、しかしながら発表当時はほとんど注目されず、その後長い間 忘れ去られていた。この歌のヒットは発表から実に7年後にボニージャックス のレコードが出るまで待たなければならなかった。

昭和37年、サトウハチロウがそれまで専属だったコロムビアを離れフリー になった。それを機会に当時キングレコードのディレクターだった長田暁二 (おさだ ぎょうじ)氏の尽力で「ちいさい秋みつけた」のボニージャックス によるレコーディングにこぎ着ける。そしてその年のレコード大賞童謡賞に 輝いたのである。 もしこの歌が昭和30年の発表時にすぐヒットしていたら伴久美子による吹き込みのレコードを現在聴くことが出来たかも知れないわけであり、そういう意味では少々残念な経過を辿った。

さて、話は伴久美子のことにもどるが多くの人を魅了した彼女の声の秘密は どこにあるのか。このことを考えるうえで、どうしても外すことができないのが 彼女のデビュー直後の挫折、そしてカムバックの経験である。

コロンビア所属でデビューした伴の指導に当たったのは佐々木すぐるだった。 スポーツの世界でも優れた選手が必ずしも優れた コーチにはなれないように、作曲家佐々木の指導はうまくいかなかった。 伴はデビュー半年で声が出なくなってしまったのである。

かつて童謡歌手というのは現在では想像もできないほど人気があった。 そのため少し売れてくると大人の歌手顔負けのハードスケジュールで歌い 続けなければならなかった。しかも適切な発声訓練を受けることなく地声のままで 声を張り上げて唄うケースも多かった。無理を重ね変声期前のデリケートな喉を痛めて 志半ばで引退する子も多かっただろう。

歌手の藤山一郎も大正10年頃から童謡歌手としてレコードの吹き込みなど していたが学校の先生から「童謡歌手としてなまじ人気が出ると世間から ちやほやされ、やたら歌い、声をつぶすからやめたほうがよい。」と説得され しばらく歌から遠ざかったというエピソードもある。このように小さい子供が童謡歌手として活動を続けていくのは大変リスクが高いことだった。

さて、声が出なくなった伴久美子の指導を引き継いだコロンビアのディレク ター足羽章氏は彼女の発声法を根本的に改めることから始めた。呼吸法、のどの開かせ方、響かせ方などを弱声発声で気長に指導した。しかし一旦出なくなってしまった声を取り戻し、再び歌手として唄えるようになるまでは相当の日数を要した。なかなか先の見えない辛い訓練に耐えた伴も立派だが、声が出なくなった歌手を切捨てるのではなくじっくり腰をすえて育てあげようとした当時のレコード会社も大変おおらかなものであった。 さて長く辛い訓練の末にカムバックを果たした伴の声は他の童謡歌手にはない独特の澄んだハスキーボイスに進化していた。

その後は昭和30年代の後半まで破竹の勢いでレコーディングしていった。 赤い鳥時代の伝統童謡から戦後の新しい子供の歌まで幅広いジャンルを吹き込んだ。 サトウハチロー作詞、中田喜直作曲の「わらいかわせみに話すなよ」は幼児向けの コミカルな作品で伴久美子のレコーディングによりヒットした。それで上野動物園の カワセミがそれまで目立たない場所で飼育されていたのが目立つ場所に移されたという エピソードもあったようだ。 その後、18歳で童謡歌手を引退した伴は父親が経営する会社で専務取締役として活躍したがまことに惜しいことに昭和61年に43歳の若さで早逝した。


主な参考文献

童謡歌手からみた日本童謡史
長田暁二 著 (大月書店)

童謡 心に残る歌とその時代
海沼実 著 (NHK出版)


2000/09/16
2004/03/10 改訂
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