昭和11年生まれ。姉・正子のような爆発的ヒット曲こそないが、
実力派童謡歌手として15年間の長きにわたり活躍した。海沼実が脂の
乗りきった頃に作曲した戦後の童謡の数々をレコーディングしている。
紅白歌合戦には第5回(1954)、第6回(1955)に出場している。曲名は
「山の乙女」、「狩勝の美少年」。
内気で病弱だった姉とは対照的に孝子はとても活発な性格で幼いときは
近所の男の子たちと遊んでいた。普通の子供の5倍にあたる声量があると
いわれ、合唱のときなど孝子の声だけが目立ってしまうので一人だけ
1メートルほど後ろに下がって歌ったという。
孝子がレコーディングしている曲に「さくらんぼ大将」というのがある。
同名のラジオ放送劇の主題歌で作詞、作曲は「君の名は」など数多くの
ナツメロ歌謡曲を生みだした菊田一夫、古関裕而の名コンビである。
筆者はこの曲を聴いてからサクランボをよく食べるようになったくらいで
とても好きな曲だ。連続ラジオドラマ「さくらんぼ大将」は昭和26年1月
から約1年間放送された。そのドラマの概要はこうだ。
みなしごの六郎太少年が主人公で「さくらんぼ大将」と呼ばれていた。
なぜならばドラマの舞台となった福島県摺上川(すりかみがわ)沿いの小さな
山村はサクランボの産地だからだ。その六郎太少年が大野木蛮洋という
医者とガールフレンドの3人で助けあって全国を旅しながら社会を見聞する
というものだ。出演者は古川ロッパ、夏川静江、中井啓輔らである。
海沼メロディーの中で結構気に入っているのが「お花のホテル」である。
ゆったりしていて、シンプルで、しかもかすかに中国風の雰囲気も感じさ
せるこのようなメロディーを作った海沼はやはり天才というほかない。
作詞者の加藤省吾は「みかんの花咲く丘」が正子、この「お花のホテル」
が孝子が唄った代表作と位置づけているようだ。この歌の作詞は「みかん
の花咲く丘」よりずっと古く、昭和16年で彼自身が主宰していた
「童謡と唱歌」という雑誌に発表していたが長い間作曲してもらう機会が
なかった。戦後、海沼実とコンビを組んでからやっと日の目を見ることに
なったのである。
平成13年10月に東京NHKホールで開催された川田正子60周年コンサートでは
姉の応援に駆けつけた孝子がステージに登場し、歌いこそしなかったが昔と
変わらぬ大きなよく響く声で会場を沸かせた。ところで孝子はこのとき
司会者の質問に答えて「70歳になったらまた歌いましょう」という発言を
している。孝子が70歳になるのは5年後の平成18年であり、そのときはつまり
5年ごとに開催されている川田正子コンサートが65周年の回になる。
そのときこそは正子、孝子姉妹による蛙の笛のデュエットが聞けるのでは
ないかと筆者は強く期待しているのである。そして願わくば次に解説する
川田美智子も加わって川田三姉妹がそろってステージに登場することを期待
したい。
昭和19年生まれ。じつは海沼実は再婚しているのだが、その相手は正子、
孝子姉妹の母親である川田須磨子だった。そして二人の間に産まれた子供が
美智子である。そのため彼女は現在、海沼美智子という氏名を名のっている。
このようになった経緯は想像するほかないが、童謡作曲家を志し、児童
合唱団の育成に青春の情熱を燃やしていた若き海沼に須磨子が好意をいだいた
としても不思議はない。
さて、美智子が二人の姉の後を追って童謡歌手としてデビューしたのは
わずか4歳のときである。スタジオのマイクを一番低くしてもまだ背が届かず
りんご箱に乗って歌ったという。
海沼にとっては実の娘であり、かける期待も大きかったと思われるが、まだ
幼なすぎたこともあり二人の姉のような人気を博すことはなく数年で引退する。
この美智子がどんな歌をレコーディングしたかということについては50年
以上も前のことであり今までよく分からなかったが最近になって20数曲の
レコーディングが判明した。その大部分は海沼が戦後になって新しく書き下ろ
した新作童謡と思われる。
作品名をいくつか挙げてみる。まず加藤省吾、海沼実のゴールデンコンビ
による作品。
みっちゃんたっち
ちょちちょちあばば
だあれがおすき
たのしい保育園
作詞家・加藤省吾は海沼とともに戦後の童謡の傑作「みかんの花咲く丘」を
世に送り出して以来、コンビを組んで数多くの「レコード童謡」を発表した。
昭和23年にレコーディングされた「みっちゃんたっち」の「みっちゃん」と
いうのはやはり川田美智子のことだろう。しかしその翌年には作詞者の加藤の
娘・美知子が産まれている。赤ちゃんを主人公にした詞の内容から考えても
この歌は加藤にとってはからずも自分の娘の誕生を祝う歌のようにも思えた
だろう。
なわとびぴょん
にこにこえくぼ
いちばんすきなころ
この「にこにこえくぼ」の作曲者は「ふたあつ」や「かはいい魚屋さん」で
知られる山口保治である。山口は筆者と同じく愛知県の出身である。平成13
年9月に山口保治生誕100周年を記念して彼の郷里の愛知県豊川市で川田正子
童謡コンサートが開催された。
戦後のヒットメーカー古関裕而作曲の「キューピーちゃんのおすもう」とい
うのもある。古関はこの曲を書いたことで川田三姉妹全員に曲を書いたこと
になる。
ほかには丘灯至夫(おかとしお)の作詞した「お馬のサーカス」という作品名
も含まれている。この丘灯至夫は「高原列車は行く」、「東京のバスガール」
の作詞者である。そして赤い鳥童謡時代に「金魚の昼寝」を書いた鹿島鳴秋
(かしまめいしゅう)の「ぞうさんのおくに」という作品もある。いずれに
しても錚々たるメンバーがまだ現役で活躍していた昭和20年代のことである。
いつも海沼は宴会などでジョニーウォーカーをストレートでチビリ、チビリ
やりながら「美智子がネ、美智子がネ・・・」と目を細めながら語っていた
という。父・海沼の並々ならぬ愛情を受けた美智子ではあったがやがて童謡
の世界から離れ、青山学院大学に進み、さらには英国大使館に勤務するなど
相当な才媛だった。しかし、時は移り、昭和50年代になると川田正子が音羽
ゆりかご会から独立する。そして美智子が母・須摩子とともに音羽ゆりかご会
の運営にあたるようになる。現在も日本で最も歴史のある合唱団・音羽ゆり
かご会の代表として活躍している。
執筆 2000/08/13
更新 2002/02/01