古関、菊田のコンビの業績を語るうえで忘れるわけにはいかないのは
ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」そして、主題歌「とんがり帽子」だろう。
戦争が終って数年を過ぎてもまだ街には親も住む家もない戦争孤児たちが
大勢たむろしていた。そして当然のことながら窃盗、恐喝などの少年犯罪
の急増が問題になっていた。そんな頃GHQによる浮浪児救済キャンペーン
として始まったこの番組はなかなか好評でその後、4年間、790回にもおよぶ
お化け番組となった。
主題歌「とんがり帽子」は童謡歌手の
川田正子と音羽ゆりかご会の合唱で
放送された。川田正子の歌声はかなり独特なものだ。あまり少女歌手らしく
ないというか、今ふうに言えばボーイッシュ、中性的で飾りけのない歌い方
の中に不思議な魅力を秘めているのである。
たとえばこんな話がある。戦時中は川田正子も童謡だけでなく軍歌も歌わ
されていた。そして大戦末期、南方の島々では凄惨な突撃玉砕が繰り返された。
そんな突撃の前夜、会ったことさえない少女、川田正子の切り抜き写真を
胸にしまい、戦場に散っていった兵士も多いという。そんな底知れない魅力を
秘めた彼女は戦後になると大人のスター歌手をも圧倒するような人気を集める
ようになる。
このページは懐メロのコーナーなのだが「マアちゃん」(川田正子)の話題が
出たのでつい力が入ってしまった。さて、当時日本中の大勢の孤児を励ました
「とんがり帽子」を作詞した菊田一夫自身もかつて孤児だった。生後すぐに
養子に出され、養家を転々とし辛酸をなめつくした。17歳になると上京して
サトウハチロウに弟子入りし、その後、古川ロッパの一座で座付き作者になった。
戦後初のラジオドラマ「山からきた男」でヒットを飛ばしたことで注目
されていた古関、菊田のコンビのもとに占領軍CIE(民間情報教育局)の依頼
による仕事が舞い込んだ。
ドラマのストーリーはまず、戦争が終り復員してきた若者、加賀美修平が
ガード下で浮浪児にカバンを奪われそうになるところから始まる。その浮浪児の
名前は隆太といった。やがて隆太をはじめ、ガンちゃん、クロ、みどり、などの
浮浪児たちと修平との交流が始まる。このあたりの筋書きは後の時代の
あしたのジョーや、タイガーマスクなどのスポ根マンガの原型なのだろうか。
修平の故郷が信州だったので、孤児たちと力を合わせてその信州の山あいに
「少年の家」を作り、共同生活を始めた。ここまで説明すればピンときた人も
いるだろう。「とんがり帽子」の歌詞に唄われている
緑の丘の 赤い屋根とは、この「少年の家」のことをいっているわけだ。そういえば若者向けの
とんがり帽子の 時計台
さて、「鐘の鳴る丘」がもとになって生まれた有名な歌謡曲に「イヨマンテの夜」
というのがある。山男が出てくる場面のために古関裕而が作った曲に菊田一夫が
アイヌを題材にした歌詞をはめこんだ。イヨマンテとはアイヌの熊祭のことで
熊送りともいう。育てた熊を殺して魂を山へ戻す儀式だという。
この歌を熱唱した伊藤久男は古関裕而と同じく福島県の出身である。はじめ
東京農大に進んだがオペラ歌手への夢が捨てられず、農大を中退して
帝国音楽学校声楽科に入り直した。圧倒的な声量があり、練習を始めると部屋の
障子がビンビン震えたという。
「鐘の鳴る丘」の舞台は信州だが、伊藤久男は信州にちなんだ歌をほかにも
唄っている。現在では歌謡曲というよりも唱歌として扱われることも多い
「あざみの歌」が発表されたのは意外に新しく、戦後のことである。
この歌の作曲は古関裕而ではなく、八洲秀章という人だが信州にちなむ歌という
ことで今回の記事の締めくくりとしよう。
作詞者の横井弘は終戦の直前に東京の家を空襲で失い、戦後しばらくは長野県の
諏訪湖畔の下諏訪町にある知人宅に身を寄せていた。
あの戦争が終わり、静かな湖畔や信州の山々を廻りながら横井は何を思って
いたのだろう。今後の生活の見通しなど全く立たなかっただろうけど、
筆者が想像するに、彼にとってこの数ヶ月は結構幸福な時間だったのだろう。
それこそ、高峰三枝子の「湖畔の宿」のセリフのように、
静かに黄昏れていく山や湖の姿を毎日ながめているうちに戦争体験も
いろいろな辛い記憶も洗いながされ、おさな子のような清らかな心に満され
詩作にふけったのだろう。
やがて、横井の心には「これからは好きな詩の道で生きよう」という決意が
固まっていった。敗戦という未曾有の社会の激変も自然を愛し、詩を愛する
彼には大きな障害とはならなかった。
その後、東京へ戻った横井はキングレコードで働きながら藤浦洸(ふじうらこう)
に弟子入りして作詞を学ぶ。下諏訪にいた頃に書いた「あざみの歌」は
キングレコードの女子社員に渡してはいたがいつしか忘れていた。しかし
ある日、作曲家、八洲秀章がこの詞に目をつけたことから彼に大きなチャンスが
やってきた。昭和24年8月にNHKの「ラジオ歌謡」で放送された「あざみの歌」は
大きな反響を呼び、昭和26年には伊藤久男の吹き込みでレコードが発売された。
あざみの花執筆 2001/6/13