7回目 石巻 牡鹿半島 9/30〜10/2

震災復旧ボラは先月で終わったはずだったんだが、名古屋でも避難勧告100万人を出した台風15号が牡鹿半島でも荒れ狂って甚大な被害が出ている、てんで急遽決まったボラ派遣。

いつものようにお東さんで出発式を執り行い、19時にバス2台で出発。
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ルートは距離は長いが圧倒的に時間が早い長野経由。すいすいとバスは進み、東北道に入っても支援トラックやボラバスはほとんど見ない。トイレも売店もがらがら。

朝7時過ぎ、牡鹿半島到着。
海沿いの道を進んでゆくと、前回来たときには無かった新たな崖崩れ。台風豪雨の置き土産・・
国道には新たな崖崩れ

ボラ現地に到着し、なにも無くなってしまった住宅跡地を歩いて集会所へ向かい、地元の邦子さんを迎えて出陣式を行って、ボラ開始指でOK
    何もなくなった街 出陣式

一部の女性陣は、派遣もともとの活動である炊き出しを開始おにぎり
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今回のメニューは ゆかりごはん・豚肉と大根の昆布炊き・豆腐とわかめの味噌汁。
お米や調味料は名古屋から持ち込んだけど、あとの材料は全て現地調達。これも被災地支援。


瓦礫出し隊は3隊。その1隊のサブリーダーを仰せつかって、徒歩で10分ほど離れた現場へ向かいます。作業地は、横を流れる小川が氾濫し、土砂が流れ込んだ畑の泥石出し。

9:20、作業開始。
一見、普通に手の入っていない庭にみえる。表面には小石がごろごろ。
流れ込んだ石に埋め尽くされた庭

が、これを手を使いつるはしを使い掘り起こしてゆくと、30cm下に畑の土が見えてくる。広さは80?ほど・・・
10時まで作業して10分の休憩。そのときに川を少し上ってゆくと、ここも石がごろごろ。
小川の上流部

しゃがみこみ、座り込み、ひたすら「石」を運び出します。石は重く、沢山はいっぺんには運べないので、少しずつ少しずつ
石拾い

と、新たな団体さんがやってきた。挨拶をし向こうのリーダーさんに聞いてみると、地元の社協から派遣された”小川復旧隊”だそうです。お疲れさま。互いの作業手順とゴミ捨て場を相互確認。
小川復旧隊

12時まで作業して、お昼。
昼食はこの地区の集会所で、地元の方とご一緒に。
とはいえ、集会所そのものは小さいので、座敷で地元の方、ボラは庭に座り込んで、配られた炊き出しをいただきまーす(^o^)
        炊きだし 2品

良く晴れ渡っていたので、日差しは暑いくらい。体を横たえてふた休み。


13:10、作業再開。
今度は午前の作業を終えた一隊が加わり、更にもう一隊も参加して65名での全員作業。
小石の振り分けにこの隊が持ってきてくれた”ふるい(ザル)”が大活躍!
    様々な升目のザル  総力戦

15:15、作業終了。
全ての石が取り除けたわけではないけど、なんとか畑で使えるようには綺麗になりました。
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これだけの石を運び出して!
    運び出した石 小山になった石


家主さんにご挨拶をして、集会所にもどります。
帰る途中の民家跡地には、海から運ばれた泥が積もっていて、雨が降るとこの状態。
靴が埋まる住宅跡地
このままでは宅地としては再利用できない。いや、土を入れ替えても無理だろう。それは・・・後ほど。

集会所横を流れる川は、満潮と増水と少しの高潮が加わって、水面が橋の底に完全に届いている。
橋底に接する水面
海水が混ざっているから、数年で崩れ落ちてしまうだろう・・・

その川には魚影がある。なんと
川を泳ぐ鮭の群

養殖場が壊れて逃げ出した鮭たちが、産卵のため川を遡上しているそうだ。
3年後には一大漁場になるとのこと。それまでに漁港が完全復活していますように。

17:30、現地を出発。
バスに乗り海岸べりの道をしばらく進むと・・・・ 海があふれ出していた・・・・・・
堤防道路に溢れる海

堤防の”厚さ”を増す工事は行われていたが、
堤防の海側に瓦礫を入れて


高さを稼ぐ工事はまだまだ先・・・。いや、堤防だけでは済まないだろう。標高ゼロメートルな土地そのものを何とかしないと。

石巻市内から高速に乗り、なんとか20時前にたどり付いた菅生PAで、ずーっとずーっと食いたいと思っていた念願の”牛タン麦飯(20時で販売終了)”で晩御飯♪ 。

食い終わってから、ボラ仲間たちと語らって再び高速の旅へ。
2時間走り、休み、また2時間走り、を繰り返して、明け方たどり付いた中津川SAで、こんな幟を発見。
東北応援 牛タン

支援なのか便乗商法なのかわからないけど、微妙に嬉しくはあります。

これで本当に”作業ボラ”は終了だろう。いや、そう有って欲しい。
そして次に俺が出来ることは・・・・・