6回目 石巻 牡鹿半島 8/27

今月も被災地へ。

金曜夜に出発式を執り行い、バス5台+2tトラック1台で石巻へ出発。

盆の大渋滞で懲りたのか、今回は長野-群馬経由で東北道へ。石巻に入るとまだヤマザキが支援を続けていた。車両の数も増えている様。
      名古屋での出発式 フォト

朝8時に現地到着。荷物を降ろし集合場所の十九成浜集会所へ移動し、現地の方を交えてのミーティング。その中で、この避難所と愛知ボラセンを取り持ってくれた邦子さんという方から私は家も思い出も全て流され何もなくなってしまったけど、みんなが来てくれるからまた”生きよう”という気持ちが湧いてきました」というお話をいただく。これは自分にとっての最大の栄養源!
        牡鹿半島での出陣式
準備体操をして、それぞれの班は担当地域へと。250名も居ると迫力がある。

今日の作業は、避難所の横を流れる川での拡幅作業と、民家が流されてしまったところでの瓦礫出し。自分は後の隊。
瓦礫出し、といってもこの段階になってくると”広い集める”わけじゃなく、堆積した泥からの”掘り出し”が必要になってくる。ヨシが生い茂る土に50cm以上の深さに埋まった自転車や家具を掘り出すのは、スコップやつるはしを駆使しても至難の作業。あっという間に昼休憩。
        たくさんのボラバス 傾いた公衆トイレ
集まった沢山のボラバス                      傾いた公衆トイレ

ここで一旦作業を中断して、とある儀式に向かいます。
車で5分ほどのところに有る「表浜」という港へ、マイクロバス2台をピストンで動かし全員移動。
湊に浮いたアスファルト
この港も地震で沈み、津波で設備が壊されアスファルトまでめくりあがっている。浜の高さにあった家家は跡形も無い。

その港にこんなものを持って立っていると
         民宿めぐろ 漁船歓迎
ボラセンが用意した旗                    現地=石巻の方が用意したカード

沖合いから漁船登場
        フォト フォト
全員で”中島みゆき=時代”を歌いながら出迎える。
(なぜ”時代”か? 歌詞の最後は♪今日は倒れた旅人たちも生まれ変わって歩き出す という希望の歌だから)

こんな小さな船じゃ産業にはならないし、陸揚げ施設もイカレたままだからすぐに金を稼ぎ出せるわけじゃない。ただ船長さんが営む民宿の釣り船となるだけ。だけど、”復興”という遠い永い目的のためにはなんらかの”神輿”が必要なのさ。

この舟は京都の民商が福井の港で調達したもので、それを愛知ボラセンが仲立ちしてこの漁港に(陸を)回航してきたもの。復興への一里塚。
舟が繋ぐ絆

船を係留し、贈った側贈られた側のお話をいただき、日本酒で船を海を清め、”紅白餅撒”v

地元のケーブルテレビと、こちらからボラで参加した岐阜ラジオが取材してました。


十九成浜へもどり作業再開。

午後は別の場所=リアス式海岸一番奥の登り斜面=へ踏み込んでみる。
竹が生い茂るその斜面にも、流されてきた瓦礫が大量に積みあがり、それが全く手付かずの状態。
木材はあまりにも数が多いので”どうせそのうち地に帰るから”と放置し、その他燃えないものを中心に拾い集める。

ところが!
ここが一番奥で手付かずだったためか、紙の類が沢山みつかる。アルバム、何かの資料、手紙。

その手紙の中に『邦子様』という宛て先のはがき!
誰かが慌てて走っていった。

16時過ぎまで作業を続け、燃えるごみ、燃えないごみ、金属のごみ、の3つの山を築いて作業終了。
関東・信越から来ていた隊は15時ごろに皆帰っていった。そっちも日帰りなんだ。お疲れさま。

集会所へもどり終了式を行って、今回のボラは終了。同時に愛知ボラセンが行う”瓦礫撤去目的”の派遣も終了。

家が何も無くなってしまい、道路から丸見えになった避難所を心に焼きつけ
フォト
(5月の衛星画像 左上の青い細長い建物が集会所 流され残った家も全てなくなってる)

底を波が洗ってる橋を再確認し
フォト

浮き上がったマンホールを目に焼きつけ
浮いたマンホール

今までの派遣で持ち込んだ応援旗が集会所に飾ってあるのを見て
       応援旗1 応援旗2

大地に帰ろうとしている船と一緒にカメラに収まって
        フォト

綺麗な夕日を見ながら牡鹿半島を後に。
        美しい夕日

一晩かけてまた長野経由で名古屋へ
その途中のSAで見つけたこんな車。愛知県からのボランティア。
        壊れた自動車を積んだレッカー ぺしゃんこになった車

想像するに、このクレーンを使ってなにかの作業をして、帰りに埋まって壊れていた車を積んできたんだろう。解体して、ひょっとして部品が生き残っていれば、それはお金になる。

「お金」と聞くと眉をひそめる人も多いが、お金になるのは大事なこと。
儲けるためではなく、生きてゆくために。

そして、生きてゆくためにお金を稼がなければいけない’被災者’にとって、ボランティアの活動がそれを妨害している、という意見がある。それは半分当たりで半分間違いと俺は思う。

そのあたりの話は、また明日。