第五十八話〜こちらは術!
しかし異世界の扉を開くのは不遜につき・・・〜


 箱船高校奥の院。 いつもは静寂が保たれているこの部屋も今日は様子が違っていた。 中央に配置された護摩壇には煌煌と炎が燃え上がり、部屋を赤く照らしている。 めらめらと翻る火の子達が普段は観る事の出来ない両壁の曼荼羅を映し出している。

 玄信と玄真が、額に汗を垂らして大音声で壁に向かって叫ぶ。 読経、いや経文は唐から渡った時には漢文に訳されていたはずだ。 日本人ならば、多少はその音韻を知っているだろう。しかし、 彼らの声はそれではない。人間がこのような声が出せるとは信じ難い、 不可解で不可思議な、異常な発音である。

 胎蔵界曼荼羅は空間の構造と原理を、金剛界曼荼羅は時間理論の秘密を解き表している。 玄真は右壁の胎蔵界曼荼羅へ、玄信は左壁の金剛界曼荼羅へ向かっている。 彼らは秘密の神的存在に祈りを捧げ、そして異界への門を開こうとしているのである。

 門の鍵はマイト。護摩壇に香木を投げ入れる栞の傍らには、 両足を抱えたままのマイトがうずくまっている。彼の力を利用する事で目的地までの道程を明らかにしようとしている。

「スゲぇな。」

 ガデスは素直に驚いた。裏の世界を生きて来た彼であるがさすがに魔術の世界には足を踏み込まなかった。 影高野の秘儀を目の当たりにして、自らの知らない世界がまだあった事を今更ながらに感動しているのである。

 秘儀、と聴いて、ソニアが素晴らしくアブナイ事を想像した事は想像に難くない。 今の彼女は妖しいその場の雰囲気に全く持って呑み込まれてしまい、普段より3割り増しぐらい“危ない世界”に舞い込んでしまっている。 まあ、黙って居るなら何を考えていても彼女の勝手ではあるけれども、ちょっと鼻血が垂れはじめているのは勘弁してもらいたい。

「しかし・・・上手く行くだろうか。」

 キースは不安そうに呟いた、が、他に手だてはない。 今は玄玄ブラザースと栞の術に期待するしかない。

 マイトは余りのショックを受けて“戻りたがっている”。 その気持ちを影高野の秘儀により増幅し、そして彼がこの世界に来る以前に居たはずであろう “魔法の国”への道を開こうとしているのである。 もちろん、人間を遥かに凌駕する神格へ祈りをささげる事はつまり、人知を超えた存在へ己を曝け出す危険な行為である。 玄真や玄信の意思がどこまで続くか、何時まで正気を保っていられるか彼らの今までの修行の成果が試されようとしていた。

「んっ! 何だあれ!?」

 曼荼羅の中央部が次第に光りはじめたかと思うと、両曼荼羅から七色の光が護摩壇の上のマイトへと伸びていく。 それが金色のマイトに反応するかのように、靄のような形状だったものが鏡のようにはっきりとした反射を帯びた物体として存在しはじめる。

「門が現れました! 今なら“魔法の国”に通じているはずです。」

 栞は喜びの声を上げた。元気そうな声を出すが、その表情は疲労の色が濃い。 彼女自身、時と空間を統べる筆舌を絶する神格と意思を交していたのだ。 一歩間違えれば直ぐにでも発狂してしまう仕事を彼女はやり遂げたのだ。

「・・・この事すら仕組まれた事で無ければいいのだが。」

「考え過ぎだって、キース!」

 バーンは素直に歓ばないキースの、背中をドンと叩いた。

「向うに行っちまえばこっちのものさ、あの眼鏡野郎をぶっ飛ばして、 ウェンディーとエミリオを助け出してやる!」

「出来ますかね?」

 場が静まった。

 振り返ると、そこにいるのは“W”、いやそのエプロン姿とほんのりと漂う トン骨スープの香りは先日屋台を壊されたラーメン屋のリチャード・ウォンその人であった。

「はっはっは! できますか?だと? わらわせる! このマジカル☆せつなさまがひきいるちょうのうりょくぐんだんに きさまのやぼうもついえるのだ!」

「良いからオメーは黙ってろ。」

 久々にポーズを決めるせつなの頭に、ガデスがポンと手をやった。 まだ喋り足りなさそうな非難の目(少々潤んでいる)でガデスを見上げる。

「あとでアイスクリーム買ってやるから。」

 ぐりぐりと頭を撫でられて、せつなは黙り込んだ。

「君か・・・邪魔をする気か?」

 キースは落ち着いて、ラーメン屋のオヤジでありながら、魔法の長の一人である彼に詰問する。 しかし相手はもっと落ちついた表情で一歩一歩、彼らに近づいていった。

「残念ながら、アナタ方は“領域侵犯”の罪を犯そうとしています。 魔法の国の長として、それは阻止せざるおえないのですよ。」

 一歩一歩。

 しかし、唐突に飛んで来た呪符に気づき、歩みを止めた。 勢い良く、それこそ物理的な力を無視して飛行する呪符は彼の肩の辺りをかする。 そして、後ろの壁に当たって砕け散った。

「各々方っ! 先に行って下され! ここは我らが引き受けまする!」

 玄信が叫ぶ。玄真と玄信、彼らがウォンの両側から間合いを詰めていた。 そうと分かった瞬間、ガデスとキースは護摩壇に向かって走りはじめた。 ガデスはせつなを、キースはバーンの裾を掴んで。慌ててバーンも走りはじめる。

「玄真っ! 玄信!! ・・・頼みましたよ!」

 栞は一言そう言うと、膝を抱えたままのマイトを何とか光の鏡へと押し込んでいった。 面に触れた部分には光が集まって、そして光の向こう側へと消えていった。 先ずマイトが消え、そして栞が鏡の中に飛び込んだ。

「おいっ、奴をぶっ飛ばしてから・・・」

「バーン! 今そんな時間は無いんだ!!」

 玄玄ブラザースが場を離れた事で、曼荼羅からの光は薄れはじめていた。 バーンは理由を知って慌てて走りの速度を上げる。

 ガデスが、せつなの頭を掴んだまま鏡の中に踊り込む。 続いてバーンとキースが、そしてキースが走り出したものだから思わず追いかけてしまったソニアが続く。

 ウォンは玄玄ブラザースと間合いを詰めようともせず、せつな達の行動を見守っていた。 そしてソニアの姿が消えた後に漸く、玄真と玄信に目を走らせた。

「そうですね、アナタ方の力量、計らせて頂きましょう。」

 ウォンは厳しい眼光を放った。しかし、玄真と玄信も同じ。 修行で鍛えたその“気合”を全身から漲らせ臨戦態勢に入っている。 先ほどまでの秘術によってかなりの体力が消費されていたが、 タダでは負けない、いや必ず勝つとの意思が彼らには感じられた。

「“私”にアナタ方が負けるなら、彼らもまたそれまでと言う事でしょうしね。」

 ウォンは意味ありげに、眼鏡に手をやりながら呟いた。


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