最終話〜戻りしもの達の後日談
物語は終焉を迎え、そして彼らの日常が始まる。〜
ニ週間が過ぎた。箱舟高校の修復は驚くほどのスピードで完了した。 カルロがその全霊をかけて怪しい技術を使いまくったのである。 お陰で当初は、階段で転びそうになっただの、鏡に妙なものが映っただのの報告が寄せられたが、 影高野の猛者たちが裏で上手く処理して、今では奇妙な噂は囁かれなくなった。そしていつもの生活が戻ってきた。しかし、変化もまた起きていた。 アレだけのことが起きたのだ、何も変らないという事は、ない。 最も大きな変化といえば、エミリオが二人になったことである。
元々はエミリオの心の分身だったはずの赤エミであるが、 エミリオの力が消えた今、存在しているのはおかしい。 そこで栞が調査を開始したのだが、どうやら完全にエミリオとは独立したことが判明した。 つまり、オリジナルのエミリオが生きようが死のうがお構いなし、 そしてその逆もいえたわけだ。ただ、もう戻ることは出来ない。 彼は、仕方なくエミリオと一緒に暮らすようになった。
ブラドは自分の中のもう一人の自分に気がついてしまったため、 自ら箱舟高校を後にした。善ブラドにとしては、自分の中に爆弾を抱えたまま 生徒と接することなど出来なかったのである。 ちなみに、悪ブラドが復活して収容施設から抜け出し、 第二のハンニバルとして恐れられるのはまだ先の話である。
ソニアは未だに、自分を妄想癖であることを認めていない。 実際のところ、彼女がウェンディーから姿を消したわけ、 “電気人間”な体質であることはウォンの消滅によって打ち消された。 ただ、彼女はそれを自覚していない。
バーンもキースも、ソニアがウェンディーの姉であることを知ってしまっているわけだが、 それは、いつかソニアが、自分からウェンディーに自分が姉くりすだという事を打ち明けるまでは 黙っておくことにした。それは他人がいう事ではない。 正直者のバーンとしてはかなり苦痛であるのだが、それでも我慢している。
バーンとキースの関係にも少し変化があった。 ソニアの乱入。すっかり“キースと出来てしまった”と勘違いしているソニアは、 今までバーンに遠慮していたのが、キースに対してはしつこくアタック、 そしてバーンに対しては嫌がらせと、あからさまにストーカーじみて来た。 そんなわけもあるから、バーンはウェンディーに、打ち明けることは出来ない。
表だって変ってないのは、カルロとレジーナ、そして玄玄ブラザースと栞たち、 傷が癒えたゲイツは今日もまた町をパトロールして回っている。 ウェンディーも、相変わらず、バーンとは恋人半分、ぐらいである。 むしろ赤エミが増えたのが、弟が二人になったようで嬉しいらしく、 何かと、特に彼の世話を焼くのでエミリオが拗ねること、しばしばである。
パティは転校することに成った。中東のほうへと旅立つらしい。 事情を知るものだけが、その真意に気がついた。 マイトと鈴木正人(仮)は、以前よりも一層、剣道に打ち込むことになった。 理由は・・・まぁ、推して知るべしと言った所だろう。
ガデスは再び、傭兵の暮らしに戻った。エミリオ達が家に帰ると、 置手紙が一つ残されていたのだ。暫くは帰らない、勝手にやってくれと 暫く余裕で暮らしていけるだけの残高の通帳が転がっていた。 元々気まぐれガデスである。平穏な生活に飽きたのか、それとも今回の件で自分の壁に気がついたのか、 それはエミリオにも、赤エミにもわからなかった。 ただ、一つ、通帳はエミリオが預かった。
エミリオは逆に忙しくなった。赤エミの世話が結構手間なのである。 自分と同じ記憶を持っているのだが、性格はまるっきり違う。 静かなのが好きなエミリオにとっては、赤エミの邪悪でハイなところは我慢できない。 そのたびに鉄拳制裁を加えているのだが、そうしていると、せつなの世話をしていた頃を思い出した。 そう、刹那は・・・
「ッ?」
二階の自室、いや、赤エミが増えたので共用になってしまったのだが、 日記を書いていたエミリオは机から飛びのいた。 赤エミはそんな彼を不思議そうに見ていたが、唐突に壁が吹き飛んだので 彼もまた吹き飛ばされた。
煙。壊れた壁の残骸から漆喰や保温物質がはじけ飛んで、非常に身体に悪そうな埃や塵がもうもうと上がっている。 その影から現れたのは、とても小さな、それでいて態度のでかい彼であった。
「はっはっは! またせたな!」
「せつな!?」
「げんかんからはいってやろうとおもったが、おれさまのてがとどかないとはいいどきょうなどあだとおもってな! こっちからはいらせてもらったぞ!」
どうやら、玄関のドアノブに手が届かなかったらしい。いやそれよりも、どうやって帰ってこれたのだろう。 それに“刹那”だった彼は、いつのまにか“せつな”に戻ってしまっている。
「よ、良く生きてたな。」
赤エミが、壁や机や本棚などの家具の破片に埋もれて彼も死にそうなのだが顔だけだして悪態をつく。 死んだものだと思っていたが、というか本当は自分がウォンに突っ込んでいっても良かったのに。
「はっはっはっは、このおれさまがそうそうかんたんにくたばるとおもったか!」
「そんなことより、この部屋、どうするつもりだ!」
エミリオはいつもの様に、せつなを足蹴にする。ぐしゃ、いつもの様にバタバタともがき始めるせつな。 ただ、いつもと違うのは、エミリオの顔には怒りよりも、嬉しさがあった。 せつなを踏みつける嗜虐心? そんなことはない、ただ久々に彼に会えたという純粋な歓びがこみ上げて、彼の瞳に溢れ始めていた。
肌寒い夜の住宅街、街角の屋台にパティが居た。小柄な彼女には普通のドンブリですら とても大きく見えるのだが、きわめて上品にラーメンを啜っている。 屋台の主人は、大柄な身体に白いエプロン姿。東洋系の顔がラーメン屋らしさをかもし出していた。
「これで『一件落着』ですか。」
「手間かけちゃったわね。でも、顔出さなくていいの? “W”さん。」
「仲良しこよしは苦手でしてね。それに、“W”ではありませんよ、“この世界の”リチャード・ウォンです。」
ウォン、そう、死んだはずのリチャード・ウォンその人。 だが、彼は“この世界の”と言った。世界を混乱させた元凶たるウォンではなく、 元々この世界に居たリチャード・ウォンだ。“W”達はこの世界で、さまざま職業についていたのだが、 彼自身はラーメン屋だったのだ。 ただ、“W”によってその存在が抹消され、ラーメン屋を乗っ取られていた、という事に成っていた。
「でも、ゲイツさんの首は余計だったわよ。」
「そうですね。お顔を粗末に扱った『因果報応』でしょうか、痛い目に遭ってしまいましたよ。」
ウォンは包帯に巻かれた額に、右手をあててみせる。ゲイツから撃たれたのは実は彼だった。 “W”が大きく計算を違っていたのは、鈴木正人(仮)だけでなく、彼の存在を忘れていたという事である。 同じぐらい切れる男を、自分よりも数段劣る“W”に任せたのが彼の運のツキだった。 “W”がとっかえひっかえこの世界に干渉する際、彼もまた“W”のフリをして少しずつ、 彼らの仕事を邪魔していたのである。
ウォンの“世界”にゲイツの首を用意したのも彼である。 その不自然さにカルロが気がつけば良かった。ほんの少しずつではあるが、ウォンの計画を彼はときほぐしていた。 彼の最後の、そして最も大きな仕事は、パティ達が去った後の“世界”で、“リチャード・ウォン”を倒したことである。 刹那を、せつなに変えて彼の力を封じ込めることで、“リチャード・ウォン”の世界をせつなの中に封じ込めた。 恐らく彼は未来永劫、せつなの中で自分の都合の良い“世界”に浸りつづけることだろう。
ただ、ゲイツから受けた銃弾で、せつなを届ける事に少々手間取った。 本当は死んでいてもおかしくはない怪我であるが、せつなやパティのお陰で一命を取り留めた。
「そろそろ行くぜ?」
煙草(葉巻)を買ってきたガデスが、パティに声をかける。 全く、傭兵は損な仕事だ。いつも汚れ役をやらされる。 さすがの彼も、事の顛末の全てを知ったのは先日のことだ。
「お母さん、まだ生きてるってホント?」
「ええ、私が上手く誤魔化しておきましたからね。」
ウォンは、パティの母親の事を言っている。 “W”達はあまりに上手くこの世界に干渉していたので、 彼自身は断片的にしか彼女を助けることは出来なかった。 あまり世界に干渉しすぎると、矛盾の重さで世界が崩壊する恐れがあったのだ。 少数精鋭で攻め込めなかったのもそのためだ。キーであるエミリオが拉致され、そして彼自身が決着をつけねば、 運命の流れは断ち切ることが出来なかったのである。
「じゃ、ご馳走様。また逢えると良いわね。」
「願わくば、こうして屋台で会いたいものです。」
立ち去るパティとガデス。ガデスはパティにその腕を買われた。 ウォンは彼らの後姿を眺めつつ、眼鏡を直す。 明日も天気になればいいですね。彼は日常を送るものとして、そう思った。 これからは一介のラーメン屋だ。そう思うととても懐かしい気持ちに成ることが出来た。