138. アメリカの教育改革の変遷


杉田荘治


はじめに
   アメリカの教育改革について、まず連邦教育省の役割の移り変わりを概観し、次いで『危機に
   立つ国家』を評価し、更に生徒の学力などの国際比較を見て、その後No Child Left Behind法
   の目指すところに触れ、最後にそれによって波及する諸問題を考察して、その変遷を見ていくこ
   とにしよう

T 連邦の教育についての役割の変化
   連邦教育省の資料: The Federal Role in Education によれば、アメリカでは教育は主として州
   と地方の責任において行なわれる。
 すなわち、公立、私立ともに学校や大學をつくり、そのカリ
   キュラムを定め、入学や卒業の要件などをきめるのは各州とコミュニティである。 また教育財政
   についてもそれは州と地方の責任である。 このため2003- 2004年度の全米の教育支出の総
   額8兆5200億ドルのうちの約90%は州、地方、私立からの支出によるものである。

   このことは教育予算について連邦政府の貢献度は約10%ということであり、しかもそのなかには
   連邦教育省分のみならず他の連邦機関、例えば連邦保健省やヘッド・スタード計画や農業省の
   学校給食補助金なども含まれているので、純粋に連邦教育省分に限っていえば約6%にすぎない。 
   またその額としては2004年度で6,300億ドルであるが、これは連邦政府全予算の2.7%である。


   このように連邦教育省は教育予算の6%しか使っていないが、しかし極めて有効にこれを使ってい
   る。歴史的ににみても1867年に連邦教育局が創られたが、その目的は州が効果的に学校教育
   制度をつくりあげていくことを手助けするために学校や教授方法についての情報を集めることが主
   目的であり、また“緊急時に対応すること”、危機的な問題が起きたとき州や地方とのギァップを埋
   めることであったが、その伝統は今もって受け継がれている。


   しかし、1890年に第2Morril法がつくられて公有地払い下げによる大學の設置が可能になり、次
   いで職業教育が重視される政策に対応して1917年のSmith-Hghes法、1946年にはGeorge-
   Bandon法によって高校生に対する農業、家内企業訓練などへの助成を強化するようになった。


   第2次世界大戦によって連邦の役割は大いに拡大した。 
   すなわち、1941年のLanham法、1950年のImpact Aid法によって教育区(school districts)が軍
   や軍事施設へ便宜を供与するかわりに費用を支出すること、また1994年には“GI法案”によって
   約800万人の退役軍人が大学教育を受けられるようにする「中等教育後の教育」についての支出
   も強化された。

   さらに大きな流れは冷戦による
   すなわち、それによって総合的な連邦関係の多くの法律が生み出されたが、1958年には「国家
   防衛教育法」:NDEAが通過しソビエットのスプートニック発射に対応して、科学、技術面でソビエット
   と競争できるような高度な教育を可能にしようとした。 そのために大学生への貸し付金、小学校
   や中等学校の理科、数学、外国語教育への助成、大学院研究奨励金、地域研究、職業・技術訓練
   などの充実である。

   次の大きな流れは1960年台、1970年台の反-貧困政策や人権関係法の成立による。
   これによって連邦教育省の使命も劇的に変化したが、1964年の公民権法によるTitle Y, 1972年
   の教育修正条項Title \、また1973年のリハビリテーション法504節、それは人種、性別、身体
   不自由による差別を禁止する法であるが、これらは今後長く続く連邦教育省の基本的政策になっ
   ている。
 また1965年の小学校法・中等学校法はTitle T計画を含めて貧困な都市部や片田舎
   に目を向け、不利益を受けている生徒に焦点を当てることになった。 同年、高等教育法も制定
   されて必要な大学生に対して経済的援助も行なうこととされた。

   1980年には議会は連邦教育省を内閣の機関(a Cabinet level agency)に格上げした。
   The Department of Education.
   今日では教育省は全米で14,000の教育区、約5,400万人の生徒、93,000の公立学校、約5,400
   の私立学校を含むあらゆる分野の教育にタッチしている。また奨学金、貸し付金、950万人に及ぶ
   中等教育後の職業訓練の支援も行なっている。

   このように連邦教育省はその使命として、対話を重視しながら就学前教育から博士号取得後の
   教育に至るまで“優れた教育”を目指して新しい時代に応えている。 なお、そのスタッフの数は
   役割が大きくなったにも拘わらず増えておらず、むしろ1980年には7,528名であったものが、
   2004年には4,487名にと減っている。
   【註】アメリカ連邦憲法における教育(条項)、School district(教育区)については後述する。

U 『危機に立つ国家』の評価
   1983年4月26日、レーガン大統領の時、「教育の卓越に関する国家委員会」が『危機に立つ国家』:
   A Nation at Risk を報告・発表してから今年で21年経ったが、その評価は次ぎのとおりであろう。
   ○ 多くの人々は21年後の今も余り向上していないというだろう。
   ○ SAT(大学入試適性検査)は1983年以来、少しは向上したが、依然として1970年代のレベル
     である。
   ○ 少数派生徒や貧しい生徒は、最も挑戦しなければならないコースで取り残されている。
   しかし、
   ○ “英語を話せない”生徒を多く学校が受け入れ、彼らに対してよく学校は努力している。
   ○ 教育の問題を連邦が州や地方に任せず、連邦が第一線に立ち中央の問題として、その役割を
     果たしたことは評価すべきである。教育を国家的話題とした。
   ○ 「目標2000ー米国教育法」では数学、理科の学力を世界的水準にまで引き上げることなど8大
     目標の設定させるものとなった。
   これらを一言でいえば理想的、抽象的でありすぎたという反省があろう。そこで具体的な目標、
   数値目標、結果責任などを明示したNo Child Left Behind法へと進ませたものと考えるべきで
   あろう。

V 生徒の学力の国際比較
   OECD の成績とアメリカについては文部科学省のページ 統計情報 OECD生徒の学習到達度調査(PISA
   《2000年 調査国際結果の要約》 を参照してください。そのなかの表5:読解力の平均得点の国際比較でもわ
   かるように、アメリカは
15位 504点と悪い。また数学については表6:数学的リテラシー及び科学的リテラシーの
   平均得点の国際比較でも
19位 493点, 14位 499点と低位です。
表6の一部を転記すると次ぎのとおりです。

 数学的リテラシー  科学的リテラシー
 1  日本  557点  韓国  552点
 2  韓国  547  日本  550
 3  ニュージーランド  534  フィンランド  538
 4  フィンランド  536  イギリス  532
 5  オーストラリア  533  カナダ  529
 .......   .....................  .................  ..........................  ............
 14  ..........................  .................  アメリカ  499
 ......  .........................  ................  ..........................  ...........
 19  アメリカ  493  ....................  ...........

    高校の卒業率についても他の先進各国と比較しても低い率です。 すなわち、Education at
    a Glance: OECD Indicators 1998, 自治体国際協会資料によれば、次ぎのとおりである。
     

  1980年代  1990年代
 100%〜90%  チェッコ、ノルウェー  フィンランド、ノルウェー
 ポーランド、韓国
 90%〜 80%  カナダ、フィンランド、
 ドイツ、ポーランド、
 韓国、アメリカ
 チェッコ、フランス、ドイツ
 80%〜70%  フランス  カナダ、アイルランド
 アメリカ

 【参考】OECD(経済協力開発機構)は、各国の教育制度や政策を比較するために、教育インデイ
     ケーター事業(INES:Indicator of Education System)を進めており、その一つとしてPISA
     (Program for International Student Assessment)を実施された。 世界32ヶ国、265,000
     人の生徒が参加。 わが国では全国から全日制高校生 5,256人が参加した。
     なおOECD/PISA のわが国の責任者は次ぎのとおり国立教育政策研究所の渡辺 良
     国際研究協力部長である。
 Home PISA Governing Board、 Japan、Mr. Ryo Watanabe
       Director, Department of International Education National Institute for Educational Research (NIER)

W 新教育改革法 : No Child Left Behind Act
   教育改革法案は 2001年、上院91: 8 で、6月14日に、下院は354: 45で、5月23日に可決
   された。従って超党派的である。
これを2002年1月14日にBush大統領が署名して法律となった。
 
 ○
全ての公立学校の3年生から8年生(中2)の生徒が、毎年、英語(Reading) と数学のテストを受
   けるようにすること。各州が実施するさいは事前に連邦教育省と協議すること
 ○高校生については、在学中、1回実施する。

 すべての公立学校で全州、全米レベルで比較可能な結果を用いて、学校通知箋:Report card を
  作ること。
 [低学力]の公立学校へは、連邦補助金で支援する。 しかし、2年続けて成績不振な学校では、
  生徒が他の公立学校へ転校することを認める。 さらにもう1年、[成績不振]の公立学校、つまり3年
  そのような状態がつづいた学校へは連邦補
助金を打ち切る。そしてチャーター・スクールにするか、州
  が強制的にその学校を引き継ぐか、或いは教員を入れ替えて再出発させる


 ○州の標準テストで向上したことを% で示すこと。 そして12年後、すなわち2013-14年には、総て

   の学校で総ての生徒が数学とリーディングで『良』レベル: proficient に達すること。
 
○学校全体、教委内全体でもそうでなければならないが、その内訳としての小グループでもそう
  あること。すなわち、人種、貧しいなどの経済的背景、英語が不自由なグループ、身体的不自
由な
  生徒などの小グ‐プの結果も公表するものとする。

 ○その年次毎の内容は、基礎である(basic)、良好である(proficient)、上級である(advanced)として
  卒業(進級)の%、教員の資質・資格、テストを受けなかった生徒の%、『改善を要する』学校の確認
  ある。

 2005 - 06年度末までに、教員の具体的資質向上策を策定しなければならない。 それは目に見
  える形で専門事項について証明されるものであること
が必要である。

  このように結果責任を果たすこと連邦支出金の柔軟な運用地方のコントロール強化
 
親の強い選択権といえよう。 Accountability, Flexibility, Local control, Greater choices
  for parents
として具体的な目標を設定し
連邦が主導して教育改革を進める。

  なおアメリカの教育改革法成立70-2. アメリカの教育改革法のその後 も参照してください。

X 新教育改革法から派生する問題点

   その前に成果について考察すると、やはりある程度、成果は挙がってきているように思われる。
   というのは、全国統一テストともいえるNAEPテストは昨年(2003)年の初めに数学とリーディングにつ
   いて実施されたが、リーディングはほぼ現状維持であるが、数学は1990年以降で最高である
   また白人、黒人、ヒスパニックともに1990年と比較しても向上している。すなわち、黒人の4年生 
   は28点の向上、 8年生は15点の向上、ヒスバニックの4年生、 22点の向上、 8年生、13点の
   向上である。
 今後、OECD/PISAの国際比較の結果にも注目しなければならないが、成果は
   まず確実であろう。 しかし同時に次ぎのような問題も派生してきているので、ここではそれに
   焦点を当てて述べることにする。


  地方教委の権威は低下してきている。 それとは裏腹に首長の教育に関する権限の強化がみ
    られる。

     132. カリフォルニア州のある地方教委が州の直接管理に移される。
     123. アメリカ・カンザス州で公選制の教委を廃して知事の任命に切り替えようとしている
    またその他多くの例があるが首長の権限強化の論述なども参考にしてください。

  教育予算不足を理由に訴訟が増えている。
    
貧しい地方教委から、低学力の最大の理由は教育予算の不足であり、そのために良い教員
    は得られず、施設・設備も劣悪のままに放置されていることであるとして訴えを起こすケースが
    増えてきている。 なかには地方裁判所の裁判官が「州議会が生徒に平等な教育を受ける機会
    を保障していない」として、これを支援する動きも現れている。少し前でもスクール・バスの問題
    などで人種統合の観点から問題にされたが、しかし今日では[教育財政で十分な教育の機会均
    等]を求める運動に切り替え
られるようになった。 


  教員組合の影響力が強くなってきている。
    例えば、デンバー市教員組合が市教委と共同して、新しい給与体系を創ったり、 教員組合が州
    知事の教育改革と組んで益々、
教委側の無力感が拡まっている。 またNew York市教員組合が
    「無能力教員の解雇手続き」を早めるように市教委に求めている例などにみることができる。


  3年続けて失敗校とされ閉校となる。また地方教委が州の直接管理に移される
    Florida州のMiami-Dade郡にあるFloral Heights小学校は教育改革法の基準によってF(失敗校)
    という評定を3年続けて受け、また生徒数も激減したために近く閉校となる
例やOrkland市教委を
    
その財政的破綻と生徒の成績不振を理由に教委そのものが州の管理下におかれることになった

     例などにみることができよう。

  生徒の退学、停学が増加している。
    教員組合でさえ
2年前には「当局は非行生徒に対する特別な教育に欠ける」と教育当局を非難
    していたが、最近では
「非行生徒を早く退学・停学処分にして教員の危険を取り除き、学習環境が
    損なわれないようにすべきである」といっている。 マサチュセッツ州
の例である。

    また『ゼロ・トレランス』:zero tolerance、すなわち、ちょっとした生徒の違反行為についても容
    しないという政策は良いとしても、それが余りにも硬直して運用されている。生徒の違反行為につ
    いても、銃、凶器、麻薬のみならず平素の
ちょっとした行為に対しても安易に停学、退学にする
    傾向は強まっていることが懸念される。

  ○『指導力十分な教員』の問題
    
その方法や基準は各州に委ねているが、数教科、科目を担当している教員や小さい田舎の
   教員にどのような弾力
的措置をとるかが問われる。教職歴の長い教員といえども例外は認
   めず、すべて新たに州の認証を受けるか、あるい
は全米的な認定テストや州によって公認され
   る原則は良いとしても現実的な問題が派生しよう。

 参考1 アメリカ合衆国憲法と教育条項
     教育は主として州や地方の専管事項といわれるが、連邦憲法でその旨を積極的に規定している
     わけではない。ただ第8節で連邦議会の権限が規定されており、陸海軍など軍のこと、貨幣、
     郵便、関税などの特別な税、外交、公海、連邦裁判所、州間のこと、通商、国債、著作権など
     の規定のなかには含まれていないのである。 従ってその他のものに適用される第10節によっ
     ている。
  Article 10
        The powers not delegated to the United States by the Constitution nor prohibited by it to the
        States, are reserved to the States respectively, or to the People. 
  
 参考2 School districts : 教育区
     School districtsは学校区と訳されていることが多いように思われるが、やや誤解されるのでは
     ないかと考える。というのはわが国では○○小学校学区、△△中学校学区などは一つの学校の
     学区を意味するが、Scool districtには数校含まれるものもあり、また必ず校長の他に教育長も
     置かれている。 例えばカリフォルニア州のHope School Districtには3校あり、教育長もいる。
     勿論、複数校、特に高校などを包含しているものにはUnion School District とかJoint Unified
     などとされているものも多いが、前記のようなものもあるから、School districtは教育区といった
     ほうがよいかもしれない。 小さいながらも教委と考えてよかろう。

コメント
   ご覧のとおり、アメリカの教育改革の大きな流れについて概観したが、その問題点を含めて研究す
   る人には、それなりに参考になろう。今後わが国の教育についてもアメリカのそれと比較して検討
   が進められることを期待したい。

 2004年 6月28日記            無断転載禁止